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怒号、殴り合い…「日常茶飯事だった」

「血のり、硝煙、火薬の人生。不良役でデビューして、ギャング役にヤクザ役と、一切更正してない。アウトローな役者人生だよな。でも、それ好き。いいもん、飽きなくて」

少年時代に憧れたのは、喜劇王チャールズ・チャップリン。

「チャップリンの映画は全部見てるし、自伝や書簡もほとんど読んだ。あの時代に笑いのために命をかけて転んでいたチャップリンと、今、俺がスタントなしでアクションをやってるのは同じこと。

ビビりそうになったときはチャップリンを思い出して、『そんなんでどうすんの?』って」

デビュー作で監督を殴った小沢仁志「怒号、殴り合いは日常茶飯事だった」。フィリピンでの命がけの撮影、ニューハーフからの助言…伝説の修羅場を明かす_1
インタビューに応じる小沢仁志
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1983年、21歳のときにドラマ『太陽にほえろ』の犯人役でデビュー。いきなり監督を殴ったという逸話を持つ。

「それは俺がどうっていうより、そういう時代だったから。監督と主演が殴り合って撮影中止になるとか、助監督が役者に殴りかかってくるとか、日常茶飯事だった。怒号しかない、工事現場だもん(笑)。ナメられないためには、どうしたらいいか考えてた」

1984年にドラマ『スクール☆ウォーズ』、1985年に映画『ビー・バップ・ハイスクール』と相次いでヒット作に出演して注目度を上げた。当時、役者の心得を教えてくれた人はいたのか。

「いや、そんな時代じゃない。先輩たちもワルな人間ばっかりだったから、酒を飲めば殴り合いになるし。

例えば、昔、ピラニア軍団(スター・渡瀬恒彦が束ねていた大部屋俳優集団。川谷拓三、小林稔侍、片桐竜次ら)がいて。片桐さんに聞いたけど、渡瀬さんが新宿でヤクザとケンカになって、ピラニア軍団が駆けつけたんだって。

そこでヤクザに『てめぇ、どこのもんだ!』と言われて、『東映だよ、コラァ!』って言いながら殴り合ったらしい(笑)。そんな時代だったから、『仁義なき戦い』みたいなすごい映画が生まれるんだよな。

今、ヤクザ映画撮ってみ? 俺が親分役で高級車の後ろに乗ってたら、『シートベルトしてください』って言われる。反社が交通ルール守るって、おかしくね?」

デビュー作で監督を殴った小沢仁志「怒号、殴り合いは日常茶飯事だった」。フィリピンでの命がけの撮影、ニューハーフからの助言…伝説の修羅場を明かす_2
20代前半で出演した『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ(1985年/那須博之監督) 写真提供/小沢仁志