#7 谷口大智さん 第2期生
伊藤 谷口さんは、身長二〇一㎝という巨漢ですけれど、取材時は練習の合間にチームメイトにいじられて、笑顔で返してました。愛されキャラなんだなというのは、見ていてすぐ分かりました。体は大きいんですけど、めちゃめちゃ優しい。
そしてチーム内だけじゃなくて、老若男女問わず、ファンの人たちからも愛されてるんです。サウスケントで55番という背番号をもらってから今までずっとつけてるんですけど、今年移籍した島根でも55番。それを見ても、アメリカで我慢し続けてゆっくり自分を見つけていった経験をずっと忘れないようにしてるんだろうというのが伝わってきます。
#8 小林良さん 第11期生
宮地 実は小林選手とは、小学生のときに一度ロサンゼルスで会ったことがあるんです。将来アメリカに留学するための視察だったそうです。話をして、しっかりした小学生だなと思ったのを覚えています。
そのときにいっしょに来ていたユースチームのコーチから、12歳のときに「いっしょに夢を見ないか? NBAを目指してみないか?」と言われて、「やりたいです」と即答。そのときから今に至るまでNBAという目標、夢に向かって、自分が何をしたらいいかというのをずっと突き詰めてきたんですね。NBAに入るためには何歳までに何をしたらいいのかという逆年表を作って、自分の進む道を計画的に決めていた。スラムダンク奨学金もそのための道筋。
奨学金を得て進学したディビジョンⅡの大学1年のときにNCAAトーナメント出場権を獲得するんですが、一回戦の前日にコロナ禍に遭って中止になったり、そういったうまくいかないことをどうやっていい方向に変えるかを真剣に考えている。考えの芯は今でもぶれてないです。
#9 村上駿斗さん 第7期生
伊藤 村上さんは、初めてディビジョンⅠの大学に行けるのではと期待されるほど文武両道を実践したんですけど、あとちょっとのところで行けなかった。でも、勉強の仕方も、バスケットの練習も無駄がない。それはすごい才能ですよね。
原稿には書かなかった話ですが、チームに溶け込もうとするとき、最初はどうしてもなめられてしまう。相手のジョークは分かっていても、やはり日本とは違ってきつく感じる。でもそこで殺気立っちゃうと、距離が縮まるどころか逆に開いてしまう。でも振られたことに対して、軽く受けるようにすれば、一気に距離も縮まるし、輪の中に入っていきやすい。かつ英語も覚えられる、と。
そういう要領のよさはすごく感じました。受け身になるのではなくあくまで自発的になるという姿勢でチームに溶け込んでいった。彼の強さを垣間見られるエピソードでした。
#10 矢代雪次郎さん 第3期生
伊藤 矢代さんは3期生ですが、1期、2期は全国レベルの選手たちが選ばれたのに、無名な自分が選ばれたことをずっと気にしていました。ここで自分が全く評価されないような結果に終わったら情けないし、悔しい。そうはなりたくないという劣等感、反骨心でやってきたんです。
シーズン直前に大怪我をして苦しむ一方、なんとかできることをと、ディフェンスに可能性を見出す。体も鍛えまくって、だんだん評価を上げていくのですが、アメリカで経験した苦しみが日本に帰ってきてからも続いているような状態。自分が思ったような結果がまだ出せていない中での葛藤に共感できる人は多いと思います。
でも、そうした悔しさを日々飲み込みながらも、決して折れない強さを秘めている。応援せずにはいられない人柄で、この先、強さが花開く瞬間を見たいです。
#11 山木泰斗さん 第6期生
伊藤 山木さんは、インタビューの取れ高はほかの方々と同じなんですけど、それを取るまでに時間が倍かかりました。すごくゆっくり間を開けながら話すのが印象的です。
みんな彼のことをひょうひょうとしていると言うらしいのですが、たしかにその通りで、何事にもまったく動じない性格が強みだと思います。結局、留学中は怪我もあってうまくいかず、一度日本へ帰って、怪我を治しつつ勉強してもう一度渡米して大学に入り直すんですけど、そこから大活躍する。理屈では説明できない力を持っている人です。
帰国後はBリーグのチームで通訳をして、今は3x3のチームでプレーしていますが、思いっ切りプレーしている姿を見てみたいです。
#12 木村圭吾さん 第12期生
宮地 木村選手は、一見おっとりしているように見えて、その実、内に燃え滾たぎるものを持っている人です。ミニバス、中学、高校と、いつも強豪チームを選んでいるのですけれど、勝ちたいというより、うまい人達の中に入って、自分もうまくなりたいという気持ちが強かったそうです。
アメリカ留学もその延長線上にあって、元々は高校から留学したくて、アメリカ留学していた富樫勇樹選手のことを自分で調べたりしたそうです。
それだけ留学に意欲的だったのに、コロナ禍で本来の留学期間より早く帰国しなくてはいけなくて大学探しに苦労したり、大学でもシーズンが中断したりと、最後までコロナ禍に翻弄されてしまったのは気の毒でした。去年、帰国してBリーグ入りした理由が「とにかくプレーしたかった」だったところに、その苦労がうかがえました。
#13 モサク オルワダミロラ 雄太ジョセフさん 第13期生
宮地 彼の第一印象は「名前が長い」。なので、取材はその名前の由来をじっくり聞くところから始めました。お父さんがナイジェリア出身の方でお母さんは日本人の方。ニューヨークに父親の親戚がいたり、アメリカと日本とナイジェリアというインターナショナルな生い立ちが名前にも詰まっているのがわかりました。
選手としては練習熱心で、向上心が強い。昔からいくつものチームに入って練習したり、大人といっしょに自主練したり。40年以上コーチをしてきたセントトーマスモアのジェリー・クインコーチも、「今まで見てきた中で一番練習熱心」と言っていたことからも、どれだけ努力家かがわかります。
身体能力がとても高くて、バスケットにすごく真剣なんです。バスケットをするためにアメリカに行って、バスケットをするために日本に戻ってきて、バスケットをするためにスラムダンク奨学金でまたアメリカに行ったという、面白い経歴の選手ですね。
#14 須藤タイレル拓さん 第13期生
宮地 彼は、私がインタビューした中で一番自分をさらけ出してくれた人ですね。家族思いで優しい性格。お父さんが亡くなって以来、母一人子一人で育ってきたので、お母さんをすごく大切にしています。亡くなったお父さんはアメリカの方で、日本ではクラブなどで歌手活動していたそうですが、そのお父さんとの思い出もとても大切にしていて、彼も第二の人生は歌手になることが決まっていると言っていました。一度、彼のSNSアカウントに歌っているところが投稿されていたことがあったのですが、本当にうまかったです。
ガードの選手としては、アメリカに行くと身長は特に高いわけではないですけれど、手が長くて運動能力が高い。その点では、セントトーマスモアでも突出していました。コロナ禍で大学コーチに直接見てもらう機会が少なくて不利だったので、ディビジョンⅠの大学に行くためにもう一年セントトーマスモアに残り、二年目にオファーを三つもらった実力者。スラムダンク奨学生の中では初のディビジョンⅠ奨学金獲得で、今後の成長も楽しみです。でも、その能力以上に印象的だったのは、やはり、すごく優しくて家族思いのところですね。
(談)