日本で言いたいことを言えないのはどんな気持ちか
村本さんは映画のなかでテレビを「得体の知れない存在」と評する。自分をテレビに出すまいとする黒幕は誰なのか。それがわからないまま、村本さんのテレビでの露出は減っていく。
もしかしたらそれは特定の個人ではなく、上を見て勝手に忖度する「社会の空気」なのかもしれない。「テレビ」や「社会」といった大きな主語に悩まされる村本さんの姿が、発表の場が決まらないなかでカメラを回し続ける監督の姿にも重なる。
息苦しい日本を飛び出した村本さんが、次の主戦場に選んだのはアメリカのスタンダップコメディだった。舞台に立つ芸人たちは、政治、宗教、人種、自分のルーツを当たり前のようにネタにする。それらは自分が最も伝えたいことであり、観客の関心事でもあるからだ。
ニューヨークを拠点にするコメディアンで、村本さんに舞台を提供するダラ・ジェモットさんも、黒人差別をテーマにしたネタを披露する。黒人の人生がどれだけ大変かを想像する「種」をまくため、「私は観客が聞きたくないことも喋る」と話す。
日本で言いたいことを言えないのはどんな気持ちか、と彼女に問われた村本さんは、「もちろん辛いけど、それでも伝えるために努力はできる」と答える。
その言葉通り、村本さんは自身の笑いを更新するため、地道な努力をひたすら重ねていく。39歳で英語を学び直し、ネタになりそうなものや観客をつぶさに観察してトライアル・アンド・エラーを繰り返しながら、アメリカでウケる術を磨いていく。件の大麻ネタで笑いの喝采を起こしたときには、カメラに笑顔で中指を立てた。
村本さんの笑いに対する探究は、それだけでは終わらない。基地問題を知るために沖縄へ、慰安婦について学ぶために韓国へ、世間から忘れ去られている被災地へと足を運ぶ。
そこで当事者たちの声に耳を傾け、咀嚼した内容は「被災地で聞いた“こんな救援物資はいやだ”ランキング」といったインパクト大のネタに生まれ変わる。
その過程を見ていると、お笑いというのは何と高度にものごとの本質を捉えようとする創作作業なのだろうかと驚かされる。当事者のリアルな声や問題の背景を理解し、それを観客に伝えようとする村本さんの姿には、相手の立場になってその考えや感情を想像しようとするエンパシーの力を感じた。だからこそ彼のネタには、笑わされ、考えさせられもする。
映画は村本さんの生い立ちにも焦点を当て、なぜ彼がこれほどまでに笑いに情熱を注ぐのかも解き明かしていく。家庭環境が複雑で孤独を抱えていた村本少年にとって、笑いは孤独を癒す手段だった。テレビのお笑い番組に憧れた村本少年は、笑いを磨くことに没頭していく。