監督が珍しく怒った日
――スタイルチェンジはいつ頃からですか?
2022年に入ってからじゃないですかね。
――ということは、今年度は明らかに昨年度までとは変わったっていうことですか?
変わったのは、6月の全日本予選会(全日本大学駅伝関東地区選考会)の後からです。
――全日本選考会は11位という結果で、出場権が与えられる7位には届きませんでした。
本大会に出るつもりで計画していたので、あそこは通っておきたかった。あまり人前で怒らないんですけど、珍しくその場で長めのミーティングをして、だいぶ言いましたね。
ずば抜けて速い選手はいませんでしたけど、3組、4組にしっかり走れる選手がいたので、普通にレースをしてくれれば、いけると思っていました。
――その後にまたチームは変わったわけですね。夏合宿を通して、今回の箱根予選会はいけるだろうという手応えがあった?
故障者も少なかったし、夏合宿も、去年の主力がやっていたメニューを、ほぼほぼメンバー全員がこなしていたんです。去年より絶対に強くなっているって本人たちも思っていたと思いますよ。
――箱根駅伝予選会に関しては、指導者として初めて挑んだ2019年が23位で、その翌年は28位と順位を落としました。
あのときは焦りましたね。コロナ禍で、陸上自衛隊立川駐屯地内だけの平坦なコースになって、高速化したときでした。完全に戦力の差が出ましたね。
速いペースのトレーニングをしていませんでしたから。「やべっ、5年じゃ無理だ」って思いましたよ。甘かったなって考え始めて……。
まずは力をつけないとダメだから、トラックの5000m、10000mのタイムを向上させることが必要だと思いました。当たり前のことなんですけどね。
――そして、2021年は一気に16位まで順位を上げました。しかも、5㎞通過タイムはトップで、10㎞までは通過圏内にいました。
あんなの「痩せ馬の先走り」じゃないですか。でも、あれがよかったんです。このレベルで10㎞までは通過圏内に残れるのがわかったので。あれがなければ、今回の通過はなかったかな。
――そして、ついに55年ぶりの予選突破を果たすわけです。
でも、全然下馬評が高くはなかったんですよね。逆に、目立たなくてよかったとも思っていますが。