「絶対やめない」が入部条件

――大学側にはどんな要望を出したのでしょうか?

選手寮の整備です。あとはやっていかないと、何が必要かも全然わからなかったので。2020年にできた「紫聖寮」は、40人が生活できるように造ってもらいました。

箱根駅伝出場へ向けてもちろんある程度計画を立てていましたが、まずは現場を形にしていかないと動けないと思ったので、最初の2年間はとにかく必死でしたよ。行き当たりばったりの部分もありましたね。

【箱根駅伝】「本当に立教でいいの?」上野裕一郎監督のスカウト秘話。選手との約束は「どれだけ大変でも4年間やめないでくれ」_2

――監督に就任された当時、立教大陸上競技部の印象はどのようなものだったのでしょうか?

賢い子が多い印象がありました。走力とか実績は関係なしに、話がちゃんと通じるし、受け答えがきっちりしているんですよね。僕はあまり話を聞かないタイプだったのですが(笑)、そういう学生はいっさいいませんでした。

もともと勉強で入ってきている子が多いから、意図を説明すれば、理解して行動に移せるんです。そういう能力が高かった。僕が監督に就いた初年度から、一生懸命やってくれていたので、そういうところが今に生きているんだと思っています。

――前回の箱根駅伝に関東学生連合の一員として出場した斎藤俊輔さん(2022年卒業)の学年より上は、上野監督が就任する前に入学した世代です。入部したときに、目標に「箱根駅伝出場」は、当然なかったということですよね。

おそらく、箱根駅伝に出ることではなく、大学4年間、陸上競技をまっとうすることが目的だったと思います。僕が監督になって、当然「え〜っ!」となりますよね。でも、体調の問題でやむなくやめた学生もいましたが、その他は誰も離脱しなかったんですよ。

斎藤は努力して力をつけました。寮ができるまでは神奈川県の秦野から片道2時間半かけて通っていたんです。黙々と練習を積んで、箱根に出たし、トラックでは立教大の記録をつくりました。強かったですね。

――突然箱根を目指すことになっても、誰も離脱しなかったというのはすごいですね。

今も、一般受験や指定校推薦で入ってくる子たちに話すのは、「どれだけ大変でもやめないでくれ」ということです。マネージャーも一緒。それが入部条件になっています。