入学当初は「ひとり部員」ではなかった
桐生市立商との最初の縁は、姉の遥加がきっかけだった。5学年上の遥加も同校バスケットボール部のOGで、彼女の現役時代、弟は頻繁に練習を見学しに行っていたのだという。
「見てるだけじゃつまらないだろ。お前も練習に参加しろよ」
西條に促されるようにコートに入れてもらった亀山は、〝お客さん〟ではなかった。技術的な側面から熱心に指導される。雑な動きをすれば怒られ、教えを体現できれば「ナイスプレー!」と褒められた。これが、亀山の原体験として深く刻まれたのである。
「姉が頑張っている姿を見たくてたまに見学に行っていただけなのに、先生は細かいところまでちゃんと教えてくれて。『ここは自分に合ってるな』って思うようになりました」
笠懸南中での亀山はフォワードポジションの控え選手だったが、高校でも競技を続ける気ではいた。しかし、中学3年だった昨年の時点で桐生市立商には男子バスケットボール部がなく、他の高校への進学を考えていた。
しかしそれは、本心からの選択ではなかった。やはり亀山は、初志を貫いたのである。
「西條先生とバスケットボールがしたいです」
意を決し、亀山はそう直訴した。
この決断を後押ししたのには、もうひとつ理由がある。数年前から「男子バスケットボール部が立ち上がるのではないか?」という話があったからだ。
桐生市立商に赴任してから「いずれは男子も作りたい」と機会を窺っていた西條にとっても、亀山からの嘆願が一歩を踏み出すきかっけとなった。
西條が英断の経緯を説明する。
「陸斗が来てくれるのなら、本格的に作ろうって感じにはなりました。男子が入ることで、女子たちにも『今までの環境が当たり前じゃないんだよ』と教えられますし、いろんな相乗効果があると思ったもので。だから、彼が私に言ってくれた時には、『なら来い』と」
正確に言えば、入学当初の亀山は「ひとり部員」ではなかった。数名のバスケットボール経験者が、「男子バスケ部があるんだ」と入部してきたのである。
しかし、彼らは続かなかった。