「私ならMVPは大谷に投票していた」エンゼルス番記者が占う大谷翔平の「WBC」と「移籍」を読む
「2019年9月に行った左膝の手術がキーだった」
――2018年のルーキーイヤーから大谷翔平選手を取材しているフレッチャーさんですが、ジャーナリストとして率直に感じる彼の魅力はどこでしょうか。
言うまでもなく、彼のプレーそのものが圧倒的で歴史的だということです。だって、このような偉大な記録を残した選手は、この100年間ひとりもいなかったわけですからね。
私は幸いにも球場の記者席の最前列でその様子を取材し、彼について書くことができる。ジャーナリスト冥利に尽きるというか、名誉なことだと思っています
――エンゼルスに入団当初は二刀流に関し懐疑的な意見もありました。フレッチャーさんとしてはどのような見解だったのですか。
正直、2018年シーズン前のスプリングトレーニング時点の印象では、投打ともにメジャーのレベルには達していませんでした。正直、これはちょっと厳しいのでは、といった見立てでしたが、球団は『もうちょっと待ってほしい。彼は絶対にできるから』と私たちに言いつづけていたんです。
今思えばこの球団の大谷に対する信頼は正しいものでした。そして大谷はデビューすると、最初の1週間でピッチャーとして初勝利を挙げ、ホームランを3本放ちました。これで私は完全に彼への見方を変えましたね
――しかしその後、二刀流をやりつつもトミー・ジョン手術や左膝の手術もあり、2020年シーズン終わりまで真の実力を発揮できずにいましたね。
2020年の終わりの地点で、ひょっとしたらこれで終わりではないかと思いもしましたし、また『メジャーでやっていくのならば打者に専念すべきだ』という意見がアメリカでは大半でした。
ただ私としては2021年にもう1度だけチャンスを与えるべきだと考えていました。もしこれでチャンスを掴めなければ、本当に大谷のメジャーでの選手生活は終わるだろう、と。
――そして誰もが驚愕した2021年、MVPを獲得する活躍はもちろん、二刀流としてMLBの歴史に名を刻む偉業を成し遂げました。
本当に信じがたいことでした。この活躍は2019年9月に行った左膝の手術が鍵になっていると私は考えているんです。術後の2020年シーズンはコロナ禍もあっていまいちでしたが、膝の負傷が完全に癒えたことにより、オフから2021年にかけ、彼がやりたかった下半身のトレーニングを集中してできるようになりました。
それに付随して体全体のコンディションも高まっていった。あとメジャー4年目ということもあり、経験を重ねながらメンタルの面でも追いつくことができました。神様に与えられた「肉体的な資質」プラス「心理的な強さ」の組み合わせが大谷の躍進のポイントだったと思います。