世の中と自分のずれをどう調整するか

──自分1人の興味からスタートした作品を世間の人が見たいものに調整していく時に、テレビの世界の第一線で活躍されてきた経験が生かされているのかなと思ったのですが。

その感覚はつながっていると思います。そもそも、世の中と自分の間にずれている部分が多いんですよね。例えば、僕が生きてきて知っている感情を、みんなも普通にわかるだろうと思っていざ声に出してみると、案外共感されない。そういうことは多々あるとテレビの仕事で学びました。だけど僕という人間が今思っているこの感情を、相手も全く持っていないわけじゃなくて、ただ気づいていないだけなのかもしれないと。だからどう伝えるかがすごく大事だと思います。

物語を作って、映像でそれをお客さんに伝えていく上では、まず役者さんがどんな顔をするのか。どんな照明があって、カメラはどこに寄るのか。いろんな方法を使って、僕が表現したい感情や現象を少しでも多くの人に伝わるものにしていく。この時も、わかりやすすぎると今度は品がなくなるから、そのバランスが大事で。

本当にわからなくなった時は、現場にいるスタッフの人、たとえばメイクさんに聞くこともあります。どのキャラクターがいちばんよく見えるか、どのキャラクターが嫌いか、とかね。プロデューサーとかだと既に散々話し合ってきてるので、そうじゃない人の意見を聞きたい時はありますね。

ひとりよがりも迎合しすぎもダメ。劇団ひとりにとって「創作すること」とは?_4

──話が少し戻りますが、先ほどの「人に届かないようなものを作って満足するメンタルは持ち合わせていない」というお話が気になっていて。一方、別のインタビューでは「世間の評価よりも自分の納得感を大事にしたい」ともおっしゃっていました。この、矛盾するようでしていないひとりさんのお気持ちを知りたいです。

結局のところは、お客さんに合わせて作ることはできないんですよね。っていうのは、「今世の中で流行ってるから、これをやれば間違いなくヒットする」みたいな方法論って、ありそうだけど実はなくて。もし本当に魔法の脚本があって、死神との契約でそれが手に入るなら絶対に欲しい。でも、そんなものはないわけですよね。

そうなってくると結局できることは何かと言うと、まずは自分がおもしろいと思うことを掘り下げていくこと。本当におもしろいと思って納得したものは、力が全然違うんでね。それは具体的には、時間をかけられるということです。本当に素敵だと思ったものに関しては、とことん時間をかけられる。そうじゃなくて「これならお客さんが喜ぶだろう」ってところから始まると、結局そこまで労力をかけられない。

どうしてかって、それは思いがないから。やっぱり好きだからこそなんですよ。基本的には、ものづくりの時は必ずそうで。自分1人の中で練って練って、その後にようやくお客さんの顔が出てくる。自分だけの中にあった熱量を、どうやったら広く伝えられるか考えていく作業ですよね。

──まずは自分が持続して興味を持てるかどうかが、ものづくりのスタートにあると。

よく芸能界でも、「仕事につながりそうだから」ってだけで、本当はそんなに好きじゃないのにそれっぽい趣味をアピールして小銭を稼ごうとする人がいるけど、やっぱり続かないですよね。本当にその対象が好きな人って、放っておいてもずっとそのことを考えるでしょう。グルメだって漫画だって。そういう人の言葉って、ネットでちょっと調べてコピペしたような文章とは重みが全然違う。やっぱり思い入れありきです。

ひとりよがりも迎合しすぎもダメ。劇団ひとりにとって「創作すること」とは?_5
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──今年8月に上梓された小説『浅草ルンタッタ』も、登場人物が生き生きと躍動する姿に胸を打たれたのですが、それはとても緻密な時代考証や地理の把握から生まれた説得力によるものだろうと感じました。

『浅草ルンタッタ』の舞台、大正時代の浅草の世界観が僕は本当に好きだし、登場人物のことも好き。そういう思い入れがあるからできるんですよね。じゃないと途中で嫌になっちゃいますから。眠い時にどれだけ頑張れるかって、思い入れにかかってる。根本的に好きにならないと無理ですね。


構成・文/碇雪恵 撮影/野﨑慧嗣

MC、芸人、クリエイター。マルチに活躍する劇団ひとりがエゴサを一切しない理由はこちら