『ギルバート・グレイプ』の無垢な演技で話題となったレオ

もうひとりは、ご存じレオナルド・ディカプリオである。

リヴァー・フェニックスが23歳で非業の死を! その穴をうめるかのように、レオとブラッドが降臨_2
レオは1994年には20歳だが、写真はもう少し幼いときのもののようだ
©ロードショー1994年6月号/集英社

名優ロバート・デ・ニーロと共演した『ボーイズ・ライフ』(1993)で注目を集め、『ギルバート・グレイプ』(1993)では19歳にしてアカデミー助演男優賞にノミネートされた注目の若手俳優だった。

「ロードショー」は表紙に初めて起用した6月号から、「レオナルド・ディカプリオNOW」(7月号)「来日密着レオナルド・ディカプリオ」(8月号)「NEWレオナルド・ディカプリオ」(9月号)「独占L・ディカプリオ新作撮影ルポ!」(11月号)と特集を展開。ブレイク必至の若手の次世代スターを発掘するその鑑識眼には、つくづく感心する。

ブラッド・ピットは『セブン』(1995)と『12モンキーズ』(1996)、レオナルド・ディカプリオは『タイタニック』(1997)でトップに登りつめた。クエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)では夢の共演を果たしている。

現在はふたりとも俳優業はもちろん、製作者としても数々の映画を世に送り出しており、押しも押されぬ米映画界の大立者となった。そのふたりが、リヴァー亡き後、同年に表紙に登場したことを思えば、ハリウッドの星(スター)のめぐりを目の当たりにするようで、実に感慨深い。

なお、6月号の表紙には「ハリウッド特派員大募集!」の告知が。これは数年に一度の企画で、応募してきた読者から数人を選び、ハリウッドに連れていくという太っ腹なもの。戸田奈津子さんとパリに行くという年もあった。

たとえばある年の訪米は、映画関連の名所ツアー、ユニバーサルスタジオ見学、イライジャ・ウッドにインタビュー!といった内容。「メルローズのスニーカー屋さんにいたら、ブラッド・ピットが来店したんです!」と目を輝かせた高校生特派員が、長じて「あのツアーがきっかけでメディアを志し、地方局のアナウンサーに合格しました」と挨拶に来たことも。若い読者の心に夢の種をまいた「ロードショー」の企画だった。

◆表紙リスト◆
1月号/ブラッド・ピット※初登場 2月号/メグ・ライアン※初登場 3月号/クリスチャン・スレーター※初登場 4月号/ケヴィン・コスナー 5月号/ジュリア・ロバーツ 6月号/レオナルド・ディカプリオ※初登場 7月号/キアヌ・リーヴス 8月号/ウィノナ・ライダー 9月号/レオナルド・ディカプリオ 10月号/アーノルド・シュワルツェネッガー 11月号/メグ・ライアン 12月号/キアヌ・リーヴス
表紙クレジット ©ロードショー1994年/集英社