9日間の飲まず、食わず、眠らない

約1000日間山中を歩き、9日間飲まず、食わず、眠らない修行を成就した僧侶の言葉「できないことは、できないでよろしいのです」_2

――寝る間もない、まさに「苦行」ですね。

どうでしょう。私自身は、苦行と思ったことはありません。
仏教的な考え方においては、「苦しむこと」を「目的」とした行が、苦行です。あえて苦しみ、その苦しみを通じて悟りを得ようとするわけですが、千日回峰行の本質は「苦しみ」ではなく、「供華(くげ)」(崇敬すべき対象に花を供える)です。

比叡山中に点在する250か所以上の霊場、そして京都市街にある神社仏閣の巡拝を続けた結果として、たまたま距離が長くなってしまった。そう考えて下さい。
なにも苦しむために、草鞋で山中を歩くわけではないのです。

――そうは言っても、「堂入り」は苦行でしょう。人間は、水なしでは4、5日で命を落としてしまうのに、圓道阿闍梨は9日間にもわたって何も食べず、何も飲まず、眠りませんでした。すべてを終えて出堂したときの写真を拝見しましたが、まるで即身仏のような痩身と鋭い眼光で、正直怖いとさえ感じました。

信じてもらえるかは分かりませんが、あのときも決して苦しくはありませんでした。
天台宗では「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」と言い、あらゆるものに仏性を見出します。千日回峰行の本質も然りです。
「個人として光永圓道」が堂入りを「成功させた」のではありません。あらゆるものの支えによって、私は「堂入りをさせていただけた」だけです。
そうした世界への感謝の気持ちが湧き上がって、むしろ清々しい心持ちでした。