「育ての親」の急死
ビートルズの歩みに絶大な影響を与えた事件も、この時期に発生している。ロンドンでマハリシの講座を受けた直後に起きた、敏腕マネージャー、ブライアン・エプスタインの急死だ。
リヴァプールで彼らの才能を発掘したエプスタイン。仲はいいがやんちゃだった彼らをバンドとしてまとめ上げ、徹底したイメージ戦略を使って世界的な存在に仕立て上げたのは、まさに彼の手腕である。
ところが、ライブ活動を休止させた4人がそれぞれにアイデンティティの発露を求めるようになった時、メンバーに意見できる立場のエプスタインが突然この世を去り、4人の不協和音が一気に膨らんでしまった。そんなタイミングでのインド行きは、後の彼らの歩みを左右するものになった。
映画『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』は、マハリシの僧院で偶然4人に出会って親しくなったカナダ人青年の目から見たビートルズの回想記録だ。
世間から隔離されたサマー・キャンプのような僧院で自然に振る舞う4人には、エプスタイン亡き後のバンドをどうするか、メンバー各自がそれにどう関わっていくべきかを深く考え、互いに模索し合っているのが見て取れる。
同時に、ジョンやポールらがテラスに座ってギターを掻き鳴らして一緒に歌う姿には、まだ10代だったアマチュア時代を懐かしむ空気があり、音楽や仲間へのたゆまぬ愛情と、昔のままではいられなくなってしまった寂寥感が複雑に混じり合う。
この時を以ってビートルズは、4人一丸の融合体から個々を尊重した共同体へと、かたちを変えていったのかもしれない。
ドキュメンタリー・シリーズ『ザ・ビートルズ: Get Back』とオリジナルの『レット・イット・ビー』の原点は、69年年明け早々に始まったTVのライブ・ショウに向けてのリハーサルである。
しかし、本来は映画撮影用だったトゥイッケナム・スタジオの音の悪さを発端に、メンバー間のいざこざが噴出。リハーサルは暗礁に乗り上げ、ジョージの脱退宣言まで飛び出した。そこでTVライブを延期、まずはアルバム制作を目指すことに。セッションも、完成したばかりのアップル・スタジオに場所を移した。