特権階級だけが得する間違いだらけの仕事の価値観

100年前のこうした人たちの要求と予言をあわせるなら、そうなっていてもおかしくないのです。ところが、この世界はそうなっていません。人は、ただひたすら穴を掘っては埋めることに時間をついやすことを選んだようにみえます。

観察者は、この世界のなかに入ってフィールドワークをはじめました。すると、意外なことがわかります。自分たちの仕事が穴を掘って埋めているだけだ、とか。誰も読まない書類を書いているだけだ、と。仕事に就いているかなりの人が気づいていて、しかも、それに苦しんでいることです。

そしてそのような精神状況がうっすらとこの世界を覆い、職場だけではなく社会全体が殺気立っていること、険悪になっていることに気がつきます。

50年ぐらい前(1960年代)には、ほとんど働かないですむような世界を多くの人たちが求めはじめた時代がありました。そして経済学者の予想した通り、客観的にも、可能性としては、その実現は遠いものではなくなっていました。

ところが、世界を支配している人々からすると、それが実現するということは、人々が自分たちの手を逃れ、勝手気ままに世界をつくりはじめることにほかなりません。そうすると、自分たちは支配する力も富も失ってしまうことになります。そこで彼らは、あの手この手を考えます。

そのなかのひとつが、人々のなかに長い間、根づいている仕事についての考え方を活用し、新しい装いで流布させることでした。

その考え方とは、仕事はそれだけで尊い。人間は放っておくとなるべく楽してたくさんのものを得ようとするろくでもない気質をもっている。だから額に汗して仕事をすることによって人間は一人前の人間に仕立て上げられるのだ、と、こういったものです。