五輪で警戒されて「ある意味、誇らしかった」
コース変更で改めて思い知らされたのは、カヌー・スラロームはやっぱりヨーロッパ中心のスポーツだということだ。
「(日本人である)僕がメダルを取ったり、ほかの選手も力をつけてきているので、これはまずい、またヨーロッパからメダルを奪われてしまう恐れがある、と警戒されるようになったのだと思います。本当の弱小国だったら気にされないと思うので、ある意味、誇らしかったです。オリンピックの時は色々な思いがありましたが、勝負の厳しさを学んだと思って、それを次のエネルギーに変えないといけないですね」
高校卒業後に日本を飛び出して、単身でヨーロッパのカヌー強国・スロバキアへ渡ったのは、世界に追いつき、追い越すためだった。東京オリンピックはその初心や、これまで積み上げてきたことを再確認するきっかけになった。
これまではスロバキアに拠点を置き、シーズンオフもヨーロッパにいたが、今後は日本を拠点にする。
「1年中ヨーロッパにいて、なにかを学ぶ段階ではもうありません。この時期にどういうトレーニングをするか、海外の選手がなにをしているのかは、分かっています。日本に人工コースができたのはすごく大きいですね。これまでは日本でオリンピックのメダルを目指すというのは難しい環境だったんですが、日常的にトレーニングができるので」と実家のある愛知県豊田市から東京に拠点を移した。
もちろん羽根田らしくカヌーの普及にも目を向けている。
「これまでは競技を知っていただくことを一生懸命にやってきました。でも知ってもらったはいいけれど、どこに行ったらやれるの? となります。知ってもらうのとやってもらうのとでは全然違いますし、人工コースは僕たち選手だけのものではないので、たくさんの人に体験してほしいです」と話す。
「東京オリンピックを迎えるのがいい年齢だったので、そこでやり切って終わりかなと、東京以降のことはあまり考えていませんでした。34歳になっても期待されて、またオリンピックを目指すことができるというのは幸せですよね。これまで以上に頑張らないといけない」
羽根田の東京オリンピックは挑戦の終点ではなく、通過点となった。