高梨沙羅“スーツ規定違反”に思うこと
オリンピックの競技が始まる2週間ほど前に、日本で初めて東京に造られた人工コース「カヌー・スラロームセンター」はブロックの配置が国際カヌー連盟によって大きく変えられた。水の流れは障害物や水深などの地形で大きく変わる。スラロームは流れや波の特徴をつかめばつかむほど有利な「地の利」がある競技だ。
特に羽根田は流れの特徴をつかむセンスのよさでターンなどの高い技術を活かし、パワフルな欧米勢に対抗してきた。自然の河川コースでは岩や川底を変えられない。人工コースではブロックを動かして流れや深さを変えられるが、試合直前での大幅な変更は本人も「これまでなかった。びっくりした」という事態だった。
外国人選手はコロナ禍で変更前のコースで練習ができず、日本人だけ練習していては公平性に欠けるという判断だった。ある日本のカヌー関係者は言う。
「でも、日本選手もパンデミックの中で世界のトップが集まるヨーロッパに遠征できないハンディがあったんです。ヨーロッパではロックダウンが早々に終わり、オリンピックに向けて各国の強豪選手はいつも通りの強化をしていました。実戦経験か、地の利か、と選択を迫られ、地の利を選んでやってきた。その中での異例の変更でした」
地の利は消えて、初めての川でゼロから始める状態となった。
羽根田は公開練習後の取材で「驚いた」とコメントしたが、それ以上は触れなかった。
「試合前だったし、そこに神経を使わずに自分のパフォーマンスに集中したかったんです。それよりも、自分が懸けてきたオリンピック、大切にしているオリンピックだから、自分以外の事で気を使いたくありませんでした。自分が東京オリンピックに向けて積み重ねてきた日数や思いも、全部それになってしまうので」
今回、封じていた思いを話したのは、今年2月の北京冬季オリンピックでスキー・ジャンプの高梨沙羅がスーツ規定違反のため失格となった騒動に、気持ちを揺り動かされたからだ。
「コース変更のことは今さらほじくり返すこともないけれど、高梨選手の気持ちが分かるような気がしました。言いたいことがあるはずなのですが、それを言ってしまうとオリンピックが嫌な思い出になってしまう。だから選手本人は声を上げにくいんです。公の場で本当の思いを言うと、社会問題になってフォーカスが全部そこへ向いてしまいます。選手は言いたくても言えない、というか言いたくないんです」
「つい出てしまった一言が過剰な取り上げられ方をされ、その一言が自分のオリンピックの思い出になってしまう。声を上げるべきだとおっしゃる方もいるのですが、選手がそういった問題提起をするのは、本人にとっては酷なことかもしれません。それが五輪という、人生を懸けてきた舞台であれば、なおさら」
競技の翌日にSNSで引退をほのめかすような発信をするまで思い詰めた、高梨の胸の内を思いやった。