「一条流がんこラーメン総本家」の家元・一条安雪さんの教え

学生時代のことです。先輩の1人が「ラーメンは、漫画雑誌を読みながらじゃないと食えないんだよな」とつぶやきました。驚いた私は、学校近くのラーメン屋さんへ行き、置いてある雑誌片手に真似してみたのです。しかしラーメンにも漫画にもまったく集中できず、二度としていません。最近は漫画もスマートフォンで読めるし、SNSやゲームをしながら食べている人もたまに見かけます。

東日本大震災があったとき、ラーメン店主たちと炊き出しをするため被災地を訪ねました。行列が進み、先頭は高校生。すると彼のうしろに並んでいた中年女性が、高校生の耳のイヤホンを見て「そんなものはずしなさい、失礼ですよ」とたしなめたのです。非常時にも毅然とした精神であることに驚かされました。

四谷三丁目にある「一条流がんこラーメン総本家」では、家元と呼ばれる老店主・一条安雪さんの名調子が名物の1つ。その店でのこと。ラーメンを食べていた若者がスマホを取り出して見始めたのです。家元は笑みを浮かべたまま、彼の前へ行き、静かにこう言いました。

「お兄さん、あなたも将来、父親になったときに、そうやって食べたらダメだって、教える立場になるんだから、そういうことをしてはいけないよ」。

若者は慌てて「ニュースが気になって……」と言い訳をする。「気持ちはわかるよ。でもね、ものを食べるときに片手で、なにかをしながらってのは良くないんだよ。相手に対して失礼になるんだ」。若者は必死に謝り始める。ここで家元の口調が一段とやわらいだ。

ラーメンより大切なこと

「片手間で食べてもいいものもあるんだよ。サンドウィッチ、ホットドッグ、ハンバーガー。こういうものはね、時間がない人やなにかをしながら食べるために生まれたものだから、片手間で食べてもいいんだ」。家元は続けて、鉄火丼と鉄火巻を挙げる。鉄火とは鉄火場=博打場であり、博打をしながら食べるために生まれたのだから、これもいいのだと。

そして最後に「いずれこどもができたらね、あなたが教えてやらなくちゃいけないんだから。結婚したら連れて来なさい」と声を掛けた。若者は照れくさそうな笑顔で帰っていく。怒るのでもなく、張り紙で注意を促すのでもなく、ネットにさらすのでもない、この良質なコミュニケーション。店内じゅうがやわらかな空気に包まれていました。

なかなかできないことですが、大人がすべきことって、本来こういう行動なのでしょうね。

教養としてのラーメン ジャンル、お店の系譜、進化、ビジネスーー50の麺論
青木健
スマホ片手でラーメンをながら食べする若者に、カリスマ店主はやさしく説いた_b
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