アントニオ猪木の忘れられない言葉
「燃える闘魂」のキャッチフレーズでカリスマ的な人気を集めた元プロレスラーのアントニオ猪木さんが2022年10月1日、心不全のため79歳で亡くなった。
猪木さんは、移住先のブラジル・サンパウロで力道山にスカウトされ、1960年9月30日に17歳でプロレスデビューした。1972年3月6日に新日本プロレスを旗揚げしてからは、モハメド・アリとの格闘技世界一決定戦を頂点にストロング小林との日本人対決、タイガー・ジェット・シンとの数々の死闘など歴史に残る試合をリングに刻んだ。
闘いだけでなく猪木さんは、そのリング外での発言、行動で「信者」と呼ばれるほどの熱烈なファンを生み出した。晩年の猪木さんを複数回にわたりインタビューしていた福留氏が回想する印象的な猪木さんの言葉をここに書き残す。
私は1992年に報知新聞社に入社して、1998年4月4日に東京ドームで引退するまで猪木さんの主な試合を取材してきた。引退後は新日本プロレスのオーナーとしての猪木さんを追いかけたが、取材する担当種目が変わり、お会いすることはかなわなかった。2017年に再びプロレスを取材する機会に恵まれ、2018年10月に刊行した『猪木流』の取材など複数回、インタビューを行った。
数々の言葉を聞き、新聞、書籍に書き残したが今、思い出すのはプロレスラー「アントニオ猪木」として覚醒した時の言葉だ。
日本プロレス時代は、身長209センチの体格で圧倒的な存在感を放っていたジャイアント馬場さんという超えられない壁を前に、2番手に甘んじていた。しかし、1971年12月に会社乗っ取りを理由に日本プロレスを追放されて「新日本プロレス」を設立後は、自らはエース、そして興行会社の社長、プロモーターとして団体を牽引しなければいけない立場となった。
猪木さんがプロレスラーとして覚醒したのは、この新日本プロレス旗揚げ後だったと私は考えている。