人ならざる者のノック音

長野の山奥で迷い込んだ戦慄の「心霊山小屋」 一夜を明かした登山者を襲った身も凍る怪奇現象とは?_5
避難小屋の中。2003年に改装されたという。余計な予備知識がなければかなり綺麗で、身を寄せやすい避難小屋だ

この日本屈指の心霊山小屋に、偶然にも避難することになった私たちだが、もちろん長居するつもりなどない。夜になれば幽霊に出くわすかもしれないからだ。ゆるいピクニック登山のつもりだったのに、心霊スポットで一夜を明かすなんてまっぴらごめんだった。

しかし、外は依然として激しい暴風雨が続いており、日が暮れかけている頃も全然止む気配がない。小屋の“いわく”に怯えていたが、土砂降りのなか歩く元気も残っていないし、やはり背に腹は代えられない。私たちは仕方なくこの心霊山小屋に宿泊することにした。

午後8時前、軽めの夕食を済ませた私たちは、早くも就寝準備をしていた。することもないし、怖い思いをする前に寝てしまうに限ると思ったからだ。全員がヘッドライトを消すと、周囲は漆黒に包まれて視覚は完全に役割を終えた。

いまだ外は嵐が続いており、小屋のトタン屋根や入り口の扉が激しい音を立てている。屋根は常に「バララララ」と大小さまざまな雨粒がぶつかる音を響かせており、激しい風によって扉も「ゴンッ! ゴンゴン…」とたびたび大きな音を鳴らしている。

視覚がきかないからか、聴覚のほうが敏感になったようでやたらと音が気になってしまい、なかなか眠ることができなかった。

数十分ほど経った頃だろうか。突然、扉が「コン、コン」と2回鳴った。ノックの音に聞こえ(ほかの登山者か?)と思ったが、誰も入ってこない。となれば、誰のノックというわけでもないのだろう。たんに風が扉を揺らして音が鳴ったのだ。たまたま軽い音で2回だけ鳴ったのがノック音に似ていただけ。

そう、ひとり納得したのだが——

その後も「コン、コン」が頻繁に聞こえてくることに気がついた。どうせ風の音だと思いつつも、明らかに頻度が増している。最初は「ゴンッ!」という鈍い音が聞こえるなかで、数十分に一度コンコンが混じる程度だったのが、気づけばコンコンばかりになった。

コンコン。10分後にまた、コンコン。今度は5分後にコンコン。たまたまノックのような音が混じるようになっただけだと思っていたが、それにしては“たまたま”が多くないか……。

私は真っ暗闇のなか、ひとり戦慄していた。いわくを思い出して変に怯えているだけだとわかりつつも、一度意識すると恐怖は拭いきれなくなる。気のせいだと私は自分に言い聞かせて無理やり就寝した。

 
翌朝、晴れ間も覗く穏やかな日和。昨夜の恐怖がまるで嘘だったかのよう。私は昨夜のコンコン音の原因を探るため、扉を調べた。試しに強めに押してみると「ゴンッ!」。そのあとに余韻が「ゴンゴン…」と続く。昨夜のはじめのほうに聞いた音だ。では、軽めの力で押してみると——

「ゴン、ゴン…」

あれ、コンコンにならない。どう押しても鈍い音しか出ないし、余韻も必ず入ってしまう。軽い音を出すべくいろんな強さで押してみたが、どれも鈍い音しか鳴らない。
諦めて最後に、中指の第二関節の背で扉を2回叩いてみた。

「コン、コン」

あ、きのうの音……。
指でノックしないと、この音は出せなかったのだ。では、昨晩の「コン、コン」は本物のノック音だったのだろうか。暴風雨のなか外にいた“誰か”が、一晩中ずっと扉を叩き続けていた、とでもいうのだろうか。それは果たして、人間だったのだろうか……。

長野の山奥で迷い込んだ戦慄の「心霊山小屋」 一夜を明かした登山者を襲った身も凍る怪奇現象とは?_6
少し重い引き戸の、空木平避難小屋の扉。一晩中続いた音は単なる風だったのだろうか、それとも…

文/成瀬魚交 写真/滝川大貴