テレビを成功させた一番のもと
日本プロレス中継を打ち切った時、馬場をバックアップしたのが小林與三次だった。小林は1999年12月30日に86歳で生涯を閉じた。生涯を全うするまでに番組が終わらなかったことに「良かった」と声を震わせた原の言葉には感謝の思いが詰まっていた。
日本民間放送連盟が発行していた機関誌『月刊 民放』の「正力松太郎のテレビ思想」と題したインタビューで小林はこんな秘話を明かしている。
『ニューヨークの万国博覧会でタイムカプセルをやって、世界中から二十世紀の文明を代表するものを集めて残すということにしたんですが、日本から3つ選ばれた。湯川秀樹氏の中間子理論と糸川英夫氏のロケット、そして新聞とテレビの両方だろうと思うんですが、正力の業績だったんです。
その時に彼がどうしても埋めなければいかんといったのが、街頭テレビの写真ですよ。これは俺がテレビを成功させた一番のもとだと言った。だからそのタイムカプセルには街頭テレビの写真が入っている。それほど街頭テレビについては、彼としても力を入れたし、また自信もあったんですよ』
正力は、1964年4月に開幕したニューヨーク万博でのタイムカプセルに街頭テレビで力道山のプロレス中継を見つめる群集の写真を入れていた。遠い将来カプセルを開けた時、未来人はきっとこう思うだろう。
「日本のテレビはプロレスから始まった」
写真/Getty Images