ハラスメントは「気をつけていれば」なくなる?

私がハラスメント関連の研修であるところに伺った際のことです。開会挨拶として、そこのトップが自らのエピソードを通して、アンコンシャスバイアスについて触れる場面がありました。

具体的に、家で親が料理や裁縫を子どものためにした、というエピソードを一通り話した上で、料理や裁縫を子どものためにした人について、「男性」と「女性」、頭の中でどちらの性別の人が浮かびましたか、というようなことを参加者に質問していました。なかなか粋な挨拶ではないか、トップ自らこのような話をしてくれると後の研修もやりやすいと、その時は思ったものです。

しかし、その直後におやと思うことが起こりました。それは、そのトップの挨拶の締めの一言でした。せっかくアンコンシャスバイアスに気づいてもらえるようなエピソードを話したにもかかわらず、「だからこそ、思いやりをもって取り組みを行っていこう」というような話で締めてしまったのです。加えて、いつもそういうことに気をつけていると疲れてしまうので、疲れないように「時々」気をつけよう、というおまけが付いていました。

「え、自分の意識に上がってこない、まだ気がついていない無意識の偏見を、思いやってどうにかしようというのはどういうことだろう」。そう思ってしまったのは、私だけでなく、聞いている人の中にもいたのではないかと思います。

あえてそのトップの想いに寄せて考えれば、自分が気づいていないことを気づけるように思いやる、ということでしょうか。自分の言動を振り返り、無意識のことを意識化していこう、ということを言おうとしていたのかもしれません。

でも、そうだとしても、それは本当に「思いやり」の一言で済むことなのでしょうか。もうちょっと言葉を補足してほしかったところです。

なんだか「思いやり」が魔法の言葉と化していて、そう言っておけばいいとか、たいていのことは対応できるという認識がこのように表れているのではないか、と思ってしまうのは考えすぎでしょうか。

せっかくアンコンシャスバイアスという言葉も広まったのですから、「思いやり」だけでは済まないということも、同時に振り返って検証してもらえたら、と思うところです。