凡庸な悪を明らかにするために
尾松 何か月もかかって、日野さんほどの歩留(ぶどま)りでスクープを打てるわけじゃないと思うので、ほとんどの場合。1年かけた調査が載らないということだってあり得ますからね。アジェンダ・セッティングを間違えていたのか、タイミングが悪かったとか、いろんなことで。ただ、調査報道も定義がないというか、調査報道イコール新聞じゃないとできない、という話では多分なくて、新聞が圧倒的に調査報道をつくってきた、新聞や雑誌が調査報道の主なメディアであったのは20世紀で、まだ21世紀初めで、20年しかたってないですから。調査報道的なもの、つまり、権力監視のプロセスを暴き出すみたいなものというのは、変な話、「調査報道ユーチューバー」みたいなものも出てくる可能性だってあり得ます。
日野 私の調査報道は、高いお金はかからないです。公文書を請求するのと直撃取材に行くぐらいなので。ただ、膨大な情報処理に手間と時間がかかる。
――そうですよね。だって、入手している資料の量が半端ではないですもんね。
日野 そうです。尾松さんは私の調査報道を「狂気と執念」と表現してくれたんですけど、言い得て妙です(笑)。この意思決定過程を暴くには、(両手を大きく広げて)このぐらいの文書を読み込んで、このぐらいの時間がかかる。情報処理に膨大な時間がかかることが最初からわかるわけです。でも、途方もない時間がかかるのに、それをやろうと考える時点で、既に狂気だな、と自分でも思うんです。
ありがたいことに、ほかの誰も書かないのか書きたくないのか分からないけど、書いていないものなので、そこは読んでくれたら、「ああ、こんなものは読んだことない」とは思ってもらえるんだろうなという気がするんです。
私は「特ダネ」には3つの要素があると思っています。インパクト、クオリティーと、あとオリジナリティーだと思っているんですね。オリジナリティーがなかったら、特ダネじゃないと思うんです。
尾松 多分、そのオリジナリティーの多くの要素は、アジェンダ・セッティングで決まるような気がするんです。
日野 全くそのとおりです。
――初期設定が全てですね。
日野 そうなんです。「この議論の土俵はどうやって作ったのか」、その意思決定過程を解明するのが調査報道の面白さだと思っています。
――巧妙なアジェンダ・セッティングで、自分たちの責任や国民の怒りをそらすという役所の手法は明治政府以来、ずっとやってきた筋金入りのものですね。
日野 そうですよね。全くそうです。除染の取材をする中で、渡良瀬遊水地と中間貯蔵施設の役割が酷似していることに仰天しました。足尾鉱毒事件(*2)で、政府は鉱毒対策を理由に渡良瀬遊水地を造って、別にそこに鉱毒が全部集まるわけじゃない。でも、観念として鉱毒が全部遊水地に行ったことにして、汚染をなかったことにするんです。
中間貯蔵施設の役割もこれと同じですね。目に見えるフレコンバッグを消すことで汚染の意識を脳裏から消すというのは、明治から変わってないやり方だと思いました。100年以上経っても同じことをしているなんて、何かマニュアルがあるのではないかと思うぐらいです。
原発のような巨大な国策は、官僚機構が膨大な情報を隠して独占しなければ進められません。その構造を知られないよう、巧妙なアジェンダ・セッティングで国民の批判や怒りを浪費させて、締めさせます。でも、厚い壁を前に立ちすくんで傍観者になって何も声をあげなければ、自分も共犯者になってしまう。「共犯者にはならない」と心に決めています。なりたくてもなれないですし。
*2 現栃木県日光市にある足尾銅山で19世紀後半に起きた鉱毒事件で、近代日本初の公害事件と言われる。
構成協力=稲垣收 撮影=加藤栄