事業者と「共犯者」にならざるを得ない規制の本質

尾松 ウソを暴くというところに結局、アジェンダ・セッティングの問題があります。やっぱり加害者とか推進者の土俵に乗っていくら闘っても、被害者や反対者側が最初から負け戦になっていくというのが見えています。日野さんの調査報道が今までの議論に風穴を開けた部分があるなと思うのは、再稼働を巡る規制委員会の問題でも言えます。原発再稼働に反対する側は「規制委員会は世界一厳しい安全審査とか言っているけど、本当は厳しくないんじゃないか、もっと厳しい安全規制をしてほしい」と主張するわけですが、それは規制委員会の側からすると、痛くもかゆくもない想定問答なんです。「我々はフクシマの事故の教訓に立って中立公正な規制をやっております」って答えるだけです。

日野さんが調査報道で明らかにしたことは、「安全審査で一度合格を出して再稼働を認めてしまうと、訴訟で誤りを指摘されたくないため、規制委員会が原発事業者と同じモチベーションを共有する利害関係者になってしまう」という根本的な構造です。

せっかく経済産業省から切り離して「規制の虜」ではなくなったはずなのに、結局は訴訟を起こされたくないから、自分たちの誤りを指摘されかねない都合の悪い情報を隠す方向に向かってしまう。結局、原発推進側と規制側が「訴訟の材料になりそうな情報は隠しましょう」というモチベーションで一致してしまっている。

今まで誰もその論点では追及していなかったんです。そのアジェンダ・セッティングの見直しというものが、今までの再稼働批判ものと違うエポック・メーキングなものだというのは分かってもらえると思います。

今までのアジェンダ・セッティングに慣れちゃっている人たちというのは、「やっぱり規制委って情報を隠していたじゃないか、悪いやつだよね、だから再稼働反対だね」というところで満足しちゃう気がするんです。そういうふうに読まれてしまうと、この本はもったいない。ただ、アジェンダ・セッティングをやり直そうというモチベーションはお互いにありながら、我々もうまくいってない部分もあります。

日野 そうですね。

尾松 国民の問題意識に届けられていない。だって、「原発事故が起こった、甲状腺がんが増えたね、鼻血が出たね、もう危ないよね、だから原発はダメです。放射線は危ないよね、病気になるよね、だから避難します、だから、避難の権利です、補償してください」というほうが分かりやすいです。「民主主義をむしばむ情報隠ぺいの仕組み」とか言うよりも。

日野 甲状腺がんの問題に関して言えば、甲状腺がんと被曝の因果関係が分からない検査の仕組みにしていることのほうが問題です。比較ができない検査スキームになっている。でも、「甲状腺がんが増えただろう、だから因果関係を認めろ」という論法だけになってしまう。

ちょっと話がずれちゃいましたが、規制委員会に関して言うと、去年、反原発団体から依頼されて講演をしたことがあったのですが、質疑応答のときに、参加者の女性から、「関電って本当に悪い会社ですよね。日野さんもそう思いませんか」って言われてガク然としました。関電が悪いとか、規制委と癒着しているという話をしたわけではないんですよと。そうじゃなくて、安全審査を通したら、訴訟で規制委も責任を問われるから、利害が一致せざるを得ないという話をしたんですが……。

突き詰めて言えば、原発は二度と事故、失敗が許されないわけです。過酷事故が起きたら壊滅的な被害になるのをフクシマで経験している。「もう二度と起こしません」という前提の下でしか成り立たない。でも、それは普通の産業ではあり得ないことなので、どうしても無理なフィクションが生じてくる。だから、「安全審査はしっかりします」と言いますが、合格者ゼロではテストにはならない。「合格する前提のテストだ」ということを分かったほうがいいと思うんです。

極端なことを言えば、原発を再稼働しないならこのテストは必要なくなる。このことに気づいたのは、6、7年ほど前、規制委員会設置法をつくった官僚から「日野さん、事故が起きてすぐに規制委員会をつくるというのはどういうことか分かりますか。この国は原発をやめるつもりはないということなんですよ」と言われたからです。そりゃそうだと思いましたよ。新規制基準もいくら「厳しく作りました」って言っても再稼働のためのものなんですから。まさかその後、自分がその言葉を道標にして規制委員会の本質に迫る報道をするとは思いませんでした。

――自動車運転免許だったら落とす側は困らないんだけど、規制委員会がずっと、ダメダメ、不合格と言ったら、政府から怒られますよね。

日野 そうなると存在意義がなくなってしまいます。「おまえら再稼働のためにあるんだろうが」と言う人が必ず出てくる。国民が望まない再稼働の責任をロンダリング(浄化)している構図と言えるでしょう。原発に関しては、「技術的、専門的なことで判断している」ということが国の逃げ道なわけですね。規制委がそれを担っています。

ところが、この本の第一部で紹介した規制委員会の秘密会議では、技術的なことは何一つ話し合っていない。法的にいかに責任逃れするか、自分たちの権威をいかに損ねないようにするかという小役人的なことばかり話し合っている。それはフクシマの教訓によって生まれ変わったことになっているので、その虚構を守りたいからです。

でも、この本で書いた通り、実際には見落としを連発しているわけです。見落としたことをごまかすために、「新知見ということにするから、運転は止めませんよ」と先に言ってしまう。電力会社も運転を止められないなら特に不利益にならない。でも、そこで「基準を満たさない原発はまず運転を止める」というフクシマの教訓がまた一つ骨抜きになります。「技術的・専門的に判断する」というのはただの建前、責任逃れに過ぎません。原発行政の救いようのない無責任が改めて分かった気がしました。

構成協力=稲垣收 撮影=加藤栄

原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓
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電力不足キャンペーンでなし崩し的に原発再稼働支持が広がる現状に異議あり!
―政治家・役人を徹底的な調査報道で追及する!―
悲劇に学ばない日本の現実

◆内容紹介◆
2011年3月、福島第一原発事故で日本の原発は終焉を迎えたかに見えた。
大津波の襲来という知見が事前にあったにも関わらず、規制当局は運転継続を黙認して過酷事故につながった。
安全神話に依存していたため防災体制はないに等しく、住民避難は混乱を極めた。
そして国内の原発はすべて停止し、「原子力ムラ」は沈黙した。国民は学んだはずだった。
だが、「懺悔の時間」はあっという間に終わった。
あれから10年以上が経ち、ハリボテの安全規制と避難計画を看板に進む原発再稼働の実態を、丹念な調査報道で告発する。
著者の政治家、役人に対する鬼気迫る追及は必読。
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廃炉とは何か もう一つの核廃絶に向けて
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2022/8/11
682円(税込)
単行本 ‏ : ‎ 80ページ
ISBN:978-4002710662
福島原発事故から10年余り、政府・東電は「四〇年廃炉」に向け着実に進行中と言うが、そもそも事故炉の廃炉とは何をすることで、一体それは可能なのか。スリーマイルやチェルノブイリの例も参照しながら論点を提示する。あわせて、大量廃炉時代に突入した今、老朽原発を含めた原発廃炉のもつ人類史的重要性を指摘する。
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後編 巧妙なアジェンダ・セッティングで進められる原発行政をリセットする方法【日野行介×尾松亮】 はこちら