覆い隠される為政者の無責任

尾松 加害者に都合のよいアジェンダ・セッティング(議題設定)をされて、反対派も引き込まれて闘ってしまっている状態なので、アジェンダ・セッティングをやり直すという作業が必要です。非常に骨が折れるんだけれど、やらないといけない。

日野 そうです。大きなウソって、本当に暴くのが大変なんです。福島県内の除染で発生した汚染土を「中間貯蔵施設で最長30年保管して県外で最終処分する」という国の約束も、ほとんどの人が実行すると思っていないでしょう。

――移動先がないですもんね。

日野 移動先がないというか、見つけようとも思っていないでしょう。問題なのは、30年、40年という時期だけ出すと、そこにアジェンダ・セッティングがされてしまうことです。そうなると、「その数字が妥当かどうか」という議論にしかならない。「中間貯蔵施設の本当の目的は何か、本当に必要なのか」という議論には戻れなくなってしまう。「最終的にはどうなるのか」という根本の議論が焦点から外れちゃうんです。本質を意図的に隠すことによって、なし崩しに政策が進められる、というのも原発行政の特徴です。

前著の『除染と国家―21世紀最悪の公共事業』(集英社新書)で明らかにしましたが、中間貯蔵施設は本当は300~500ヘクタールぐらいで済むのに、実際には1600ヘクタールも線引きしているんですよ。「俺は売らない」という人がいても、売った人の土地に汚染土を持ち込むことで、福島県内の各地に残っていたフレコンバッグの山を消すことができるからです。汚染の存在を可視化するフレコンバッグを消すことで、汚染を観念的に消すのが目的です。30年たったらどかすかと言えば、もうその必要はないわけです。既に不可視化は成功したわけですから

尾松 「何を廃炉の定義として決めるのか」というのも民主主義の問題だと思います。事業者のエキスパートと、推進機関である政府のエキスパートが密室で、「放射性廃棄物がいっぱい出るけど、搬出先はないから、敷地内に置くしかないよね、この状態で廃炉完了って認めましょうよ」って言えばそうなってしまうのが現状です。福島第一原発でも、「事故当時に比べてこれだけリスクが低減されました。原子炉も解体されないし、デブリも残ったままです。汚染水は全部流しました。敷地汚染はしていますけれど、これが我々の考えるリスク低減の廃炉の完了形です」と言えば、廃炉はできたということになり、その判断に何の違法性も日本の法制度上はありません。

こういう意思決定のプロセスを許してしまうことが、民主主義社会をないがしろにしたもので、そういう先例がどんどんつくられていくことがどれだけ恐ろしいのかという意識を持たなければいけないのですが、それってどこか抽象的な話なので、なかなか恐ろしさが伝わらない 。病気になるかならないかの二者択一とか、この線量を超えたら危険かどうか、汚染水を流したら健康被害が出るか出ないかという話のほうが分かりやすい。

短期的には解体しないほうがいいと私も思いますけれど、ちゃんと補強はしておいたほうがいい。私は廃炉が現実的に今の技術ではできないにせよ、廃炉の完了形は法律で定めるべきだと思う。それによって、「廃炉が法的にできていない」、つまり、「法的な義務を達成しなかった」という現実をつくるべきだと思うんです。廃炉を法的な完了要件まで達成しなかった事業者が別の原発の運転を続けるとか、ましてや新増設をするなんてことができない制度にすべきだと思います。

巧妙なアジェンダ・セッティングで進められる原発行政をリセットする方法 【日野行介×尾松亮】_01
尾松亮(おまつ・りょう)1978年生まれ。東京大学大学院人文社会研究科修士課程修了。モスクワ大学文学部大学院留学後、民間シンクタンクでロシア・北東アジアのエネルギー問題を調査。2019年より民間の専門家、ジャーナリストによる「廃炉制度研究会」主宰
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日野 除染の取材でびっくりしたことがあります。1キログラム当たり何千ベクレルという濃度基準でいろいろルールを決めているのですが、実は法律では希釈自体を制限していない。総量を規制していない濃度規制なんて意味があるのだろうか。

――たしかチェルノブイリ周辺だと、今でも放射線量が年間5ミリシーベルト以上の地域は居住禁止というのがありましたか。

尾松 居住禁止まではいかないんですけど、「段階的移住義務を設定する」というのがチェルノブイリ被害地の基準ではあるんですけどね。