聞こえるはずのない鈴の音
おいらん淵は、多摩川の源流のひとつ・丹波川をさかのぼり、一ノ瀬川と柳沢川に分かれる箇所にあるとされている。「おいらん淵の碑」なる慰霊碑も過去にはその場所にあった(今は撤去済)。
しかし、実はこの場所は本来の地とは異なるらしい。資料によれば、女たちが武田氏によって殺された場所は、柳沢川をさらに3kmほどさかのぼった藤尾橋近辺だという。こちらのほうは探索例が少ないので、行ってみる価値はありそうだ。
そこで、私たちは女たちの遺体が流れていった丹波川を遡行して合流点を通過し、さらに柳沢川を遡行して藤尾橋に行ってみた。また、夜は藤尾橋近辺で野営し、ついでに慰霊をしようと考えた。
適当に見つけたキャンプ地で夕飯と晩酌をしているうちに、午前二時に。ヘッドランプの灯りを頼りに藤尾橋へと戻り、線香の束と下流で摘んだ花束を橋の袂に手向ける。周囲はまさに漆黒の闇。橋の下からは轟々と水音が聞こえてきている。私たちは線香の煙を前に、しばし黙祷をして非業の死を遂げた女たちを悼んだ。
一通りの慰霊が終わり、キャンプ地へ戻り始めたそのとき、不可解な出来事が起きた。
一列になって歩いていたが、私は焚き木を拾い集めながらだったので最後尾におり、前をいく隊員たちと5mくらい離れていた。
焚き木になりそうな、乾燥して軽い枝はないかと地面を見ながら歩いていると、ふいに後ろから“音”が聞こえた。
——しゃん、しゃん、しゃん…………しゃん!
鈴の音? それも、1個の鈴が鳴るようなちりんちりんという音ではなく、まるで錫杖のような、軽い鈴が何個も同時に鳴った、明らかに人工的な金属音――。
音はあまり離れていない。距離にしてだいたい十数メートル。先ほどまで我々がいた藤尾橋の袂あたりからだろうか。ほかに人などいないし、隠れられる場所もなく、音が鳴るような器具なども設置されていなかった。そう気づいた途端に全身が怖気立ち、走り出していた。
「やばいやばい、鈴鳴ってる鈴鳴ってる」
と、なかばパニックになっている私に対し、隊員たちは「え、鈴の音って先輩が鳴らしていたんじゃないんですか」と言う。鈴の音は、全員に聞こえていたのだ。
気づけば、皆駆け足になってキャンプ地に帰ってきていた。漆黒の向こうから何かが来そうな恐怖に誰もが固唾を呑んでいたが、何も来なかった。
いまだにあの音がなんだったのかわからない。おいらん淵にはやはり“出る”のかもしれない。
文/成瀬魚交 写真/滝川大貴