スミテルさんが自分の背中の傷痕を受容するようになったのはいつか
──ピーターさんが書かれた『THE POSTMAN OF NAGASAKI』には、スミテルさんが背中の大火傷の治療で約2年、うつ伏せの姿勢を崩せなかったことから、床ずれで胸に大きな窪みができたことや、戦後、背中の傷が枷となって交際していた女性から結婚は出来ないと言われ、破局したこと、その後、映画にも出てくる栄子さんという理解のある女性と巡り合うエピソードが詳細に書かれていますが、その栄子さんも初めてスミテルさんの傷を見たときは、結婚生活を続けられるか迷いが生じた心境を正直に語られています。
映画の中で私が感銘を受けたのは、スミテルさんが子どもたちと海水浴場と行ったとき、子供たちが他のお父さんと、自分のお父さんの背中が違うことに戸惑い、泣いてしまうエピソードを紹介する場面ですが、成長した娘さん、息子さんはそういうことはなかったんじゃないかと食い違いを話します。ただ、1985年の日本語版では訳者の方の後書きとして、スミテルさんから当人ではないとわからない指摘を受けて翻訳したとあるので、このエピソードは彼の検証の元で出されたものであることがわかります。
もしかすると、このエピソードは、スミテルさんのお子さんたちではなく、彼の中にいる小さな子どもが、自分の背中の傷痕を家族とともに、第三者に堂々と見せることを受容した瞬間についてお父様に告白されていたのかなと想像してみたりもしました。イザベルさん自身はどうとらえていますか?
「貴方のご指摘はとても興味深いと思いますね。父はスミテルさんにとても長い時間をかけてインタビューをしました。映画の中で紹介したように、その時の音源テープは父の遺したものの中に大切に保管されていました。で、その音源データの中に、この海辺でのエピソードが遺されているかというと、私自身、聞き直した中にあったという記憶がないんですね。
幾つかの解釈としては、二人のお子さんはとても幼過ぎて覚えていなかったのかもしれない。父の傷痕を見てショックを受けて泣いた時間がとても短い時間だったのかもしれない。実際、私たち兄弟がスミテルさんの傷痕を見たときの後日談として、私は未だ鮮明に記憶していますが、うちの妹はそんなことがあったことを全く覚えていないんです。なので、真実はどこにあるのかはわからない。もしかすると、父が彼に長くインタビューする中で、彼なりに解釈して見た風景なのかもしれない。
ただ、確かにスミテルさんの人生の中で、自分の背中の傷跡を受容する瞬間があり、そのことを父に話したことは事実である。そして、父が本に書き記したこの浜辺のシーンはとても素晴らしい、美しい風景だと思う。そして、谷口さんはこのシーンを読んだ後、本から削らなかった。そういうことだと思います」
マーガレット王女との恋愛が報道された瞬間から、
父は国のエスタブリッシュメント層から遠ざけられた。
──お父様自身の人生について伺いたいのですが、ピーターさんは第二次世界大戦中、イギリスとドイツが戦う中、軍のパイロットとして、空の英雄、国を救った英雄と褒めたたえられました。戦争が終わった後は、現在のエリザベス女王の父親で、映画『英国王のスピーチ』のモデルであるジョージ6世の侍従武官に任命され、その任務期間中にエリザベスの妹であるマーガレット王女と恋に落ちます。
奥様と離婚調停中での恋愛だったことから、国民の英雄から国民の敵へ、天地がひっくり返るような扱いをされます。このような状況は想像もつかないギャップだったかと思いますが、今作を見て、イザベルさんのお母様と再婚され、温かい家族を作られていたんだなととてもほっとした気持ちになりました。イザベルさんは、自分が生まれる前のお父様の人生についてはどのように触れたんでしょうか?
「そうなんです。私の父、ピーター・タウンゼンドは多くの人から、1940年7月10日から10月31日までイギリス上空とドーバー海峡で、ドイツ空軍とイギリス空軍の間で戦われた航空戦“バトル・オブ・ブリテン”の英雄だと言われていました。でも、父自身はとても謙虚な人だったので、『僕なんか、他の人たちと同じだよ。イギリスのロワイヤル・エアフォースで一緒に戦って、生き延びることができなかった人たちだってヒーローなんだから』と私には語っていましたね。飛行機パイロットと言う職業は彼にとっては14歳の頃から天職だというくらい好きだったんです。でも、それがまさか、戦争でその天職を生かすことになるとは思ってもみなかったと思います。
戦争が終わった後、彼は国王のジョージ6世の側近として働くことになり、そこでマーガレット王女と出会いました。二人は恋に落ちますが、結局は別れてしまうことになり、その時代とマーガレット王女との別離は彼にとってもちろん苦しかったとは思います。戦争中は国に尽くした将校で、大佐だったのに、マーガレット王女との恋愛が報道された瞬間から、国のエスタブリシュメント層から遠ざけられました。そのことで彼はすごく傷ついていたんじゃないかと思います。
ただ、私がこのエピソードに付け加えることがあるとしたら、決して英国王室はこの恋に反対していたわけじゃないんです。どちらかというと、この恋をサポートする立場だったと聞いています。ジョージ6世が亡くなり、エリザベス女王が就任して間もない時期でしたから、女王は自分なりの毅然とした態度を見せなくてはいけない立場でした。また、英国教会は、離婚した人を王室の夫として受け入れることに反対していて、それによってエリザベス女王が下したのが『結婚は許さない』という判断となり、別離となりました。
とはいえ、その後も英国王室と父との間にはずっと美しい友情がありました。父のことを想うと、マーガレット王女が25歳になるまでは結婚はできないという判断から、イギリスから離れさせられ、そのことによって最初の結婚で設けた二人の息子、私の異母兄弟にあたりますが、彼らとも離れざるを得なくなったことが、とても苦しかったと思います。そしてベルギーに転勤となったことで、私たちの母と出会い、結婚し、家族を持つことになったんです」