アナウンサーの道は一度諦めていた。仕事観を変えた、あるコーチの言葉_02

入社3年目で感じた違和感

――内定が出たときのことを覚えていますか?

え~!本当〜?みたいな、信じられない、驚きの気持ちでいっぱいだったと思います(笑)。
内定をいただいてすぐに、フジテレビに行こうと決めました。
昔から憧れていたというのもありますし、なりたいと思ってなれる職業でもないし、自分で掴んだチャンスなのだから、やってみよう、頑張ってみようと。

――頭の中で想像していたアナウンサーという職業と、実際の現場とでは、大きく違いましたか?

1年目に『めざましテレビ』と『さまぁ〜ずの神ギ問』というバラエティを担当しました。空回りや失敗だらけの毎日でしたが(苦笑)、イメージしていたアナウンサーとは、それほど違わなかったような気がします。

――その後、ご自身の中で仕事に対する意識が変わったことはありましたか?

入社3年目くらいですね。
ちょっとずつ仕事にも慣れ、番組全体を見ることができるようになったことで、自分は今後、どんなアナウンサーになりたいんだろうと、考えるようになって。
そのとき担当していた『めざましテレビ』は大好きだし、すごく居心地もいい。でも同時に、自分は将来どうなっていきたいんだろう?と考えはじめるようになっていたんです。

――そこから『S-PARK』をはじめ、スポーツの現場に携わることが多くなりました。でも、なぜ、スポーツだったのですか。

そこにも、不思議なご縁がありまして。
たまたまアナウンス部の先輩とランチをしていたとき、「バスケットボールをやりたいアナウンサーを探しているんだよね」という話になって。
「バスケは昔から好きです」と言ったのですが、どういうわけか、伝言ゲームのように話が変換され、プロデューサーのところに届いたときには、「宮司がバスケットボールを担当したいと言っている」という話になっていたんです(笑)。

――え〜っ!? ですね。

そう、え〜っ!? でした(笑)。
それで、その年に発足したBリーグ・ファイナルの中継を任されることになって。シーズンも終盤に差し掛かっていたんですが、そこから、勉強のために足繁く現場に通うようになったんです。その姿を見たスポーツ担当の方々が、「宮司はやる気がある!」と思ってくださったみたいで。次の年から、正式にスポーツ番組を担当するのが決まりました(笑)。

――スポーツにいた4年間は、大変でしたか?

楽しかったです。私自身、スポーツに関してはゼロからのスタートだったので、個人的にはものすごく大変でしたけれど、でも…だからこそ楽しかったです。