墨田区の京成曳舟駅から徒歩5分ほどの場所にある『電気湯』。昔懐かしい雰囲気を残す下町銭湯だが、電気湯を切り盛りするのは、26歳という若さで二代目となった大久保勝仁さん。10月10日生まれで銭湯(1010)の申し子とも呼ばれる大久保さんが目指す「究極のご近所銭湯」についてお話を伺いながら、電気湯のエモさの秘密を探る。

国連のスーパーエリートが下町銭湯へとコンバート!?  東京都・墨田区の人情銭湯「電気湯」_1

元国連のスーパーエリートが下町銭湯へとコンバートしたわけ

電気湯を取り仕切る二代目店主の大久保さんは、何を隠そう元国連勤務! 2016年から約3年間、国連ではSDGsの特使としても活動していた経歴を持つ。しかしなぜ、グローバルな環境でエリート街道を突き進んでいた大久保さんが、その道を辞して銭湯という全く異なる地域密着事業を手掛けることになったのか。

国連のスーパーエリートが下町銭湯へとコンバート!?  東京都・墨田区の人情銭湯「電気湯」_2
電気湯二代目の大久保勝仁さん。水温系を手に開店前の温度チェックに勤しむ

「それまでは祖母が銭湯を経営していたんですが、僕が26歳の時に辞めると言い出して。父は電気湯の隣で歯医者をやっているので、これで直系の僕がやるって言わなきゃ廃業になる状況だったんですよ。元々銭湯はめちゃくちゃ好きってわけでもなかったんです。でもこれまで経験してきたことを通じて、公共インフラの大切さはよく分かっていたのである種の義務感のようなものを感じて。あとは、国連で海外を飛び回っていたので、地に足つけて生活できる場所が欲しいっていうのもありましたね」。(店主・大久保勝仁さん。以下同)

創業101年目の超老舗銭湯

創業は、遡ること1922年。今年6月に101年目を迎えた超老舗銭湯だ。当初は「第四香藤湯」として創業、大久保さんの祖父の代で「香藤湯」となり、昭和51年の建て替えのタイミングで現在の「電気湯」という名前になった。電気湯になってからもすでに60年近い月日が経っていることになる。

店主の大久保さんは電気湯に名を変えてからの二代目。創業当初から数えれば三代目だ。元々は親戚が近所で何軒か銭湯をやっていて、それが時代と共に地域で集約が進み、今では電気湯だけが残った、というのが大久保さんが組合名簿を遡っている中で行き着いた見解だ。

そしてやはり気になるのが、この電気湯という名前。銭湯といえば、店主の苗字やその土地の名前、さらに縁起の良い言葉が名前として用いられることが多いが、どのような経緯でつけられたのか、名前の由来を不思議に思う声がSNS上でも多数上がっている。

国連のスーパーエリートが下町銭湯へとコンバート!?  東京都・墨田区の人情銭湯「電気湯」_3
電気湯となった時に完成した建物はすでに60年近い歴史を誇る。看板の文字もどこか歴史を感じさせる書体

「電気湯がまだ香藤湯だった時代、電気マッサージ風呂(今でいう電気風呂)が流行していて、香藤湯をはじめ多くの銭湯で導入されていました。決して珍しいものではなかったにも関わらず、香藤湯だけは『電気湯に行こう」と近所の人に囁かれていたみたいなんです。常連さんがつけたあだ名が結局、そのまま銭湯の名前になってしまった(笑)」

電気風呂は導入から1年ほどでやめてしまったが、それでも電気湯と呼ばれ続け、昔から近所のお客さんに愛されていた銭湯だということが伺える。銭湯の数が今の倍以上はあった当時においても、「電気湯」という名前の銭湯は、唯一ここだけだった。

国連のスーパーエリートが下町銭湯へとコンバート!?  東京都・墨田区の人情銭湯「電気湯」_4
裏の控室には電気湯(第四香藤湯)創業者の肖像画が飾られている