語られてこなかった敗戦後の日本のリアル
映画『夜の女たち』の舞台は、終戦直後の大阪・釜ヶ崎。大和田房子(田中絹代)、実妹・夏子(高杉早苗)、義理の妹・久美子(角田富江)をメインに、戦争に人生を翻弄された女性たちの壮絶な生き様を描いた作品だ。夫の戦死や信じていた男たちの裏切りもあって、夜の闇へと堕ちていく彼女たち。溝口監督は『残菊物語』(1939)、『雨月物語』(1953)など社会や男たちに虐げられてきた女性の姿を一貫して描いたことで知られている。中でも『夜の女たち』は、実際に釜ヶ崎で撮影が行われ、当時の荒廃した街の雰囲気そのものを丸ごと作品に取り込んでおり、リアルさは溝口作品の中でも群を抜く。第22回キネマ旬報ベスト・テンでは黒澤明監督『酔いどれ天使』(1948)稲垣浩監督『手をつなぐ子等』(1948)に続く3位にランクインした名作だ。
今回の舞台版で上演台本と演出を手がける長塚が、同作と出会ったのは偶然だったという。
「日本の歴史を振り返る中で、1945年の敗戦後、日本は米国の占領下にあったわけです。でも僕の感覚の中では、学校でしっかりと学んだ記憶はなく、両親や祖父母からも具体的な話を聞いたことがない。引っかかるものはありました。『夜の女たち』では、戦後の荒廃の中、大勢の女性たちが夜の街で体を売った現実に言及していて、価値観がひっくり返った日本で人々がいかにして生きてきたのかを突きつけられました。忘れられている時代に向き合うために舞台化を決め、その準備をしている中、現実にロシアによるウクライナ侵攻が起こり、大阪の焼け野原が重なった。そこでまた違うスイッチが入りました」
『夜の女たち』の舞台化も初なら、ミュージカルという試み自体、さぞかし溝口監督も雲の上で驚いているに違いない。しかも長塚にとって初のオリジナルミュージカルというだけでなく、主演の房子を演じる江口のりこもミュージカルは初挑戦。そこには狙いがあるという。
「調べてみると、一言で“夜の女たち”といってもそれぞれに理由があって、単純にきらびやかな世界に憧れた人もいたし、アメリカ人と付き合うことで自由を感じた女性もいたそうです。日本では女性の権利はそれまでないに等しかったので、終戦はそれが一気に解放されたきっかけでもあった。こうした時代を描くのに、ストレートプレイでは描ききれないものもあるかと。そこで音楽のちからで、ミュージカルとして描くことで、混沌とした時代を生き抜いた日本人の生命力を伝えられるんじゃないかと思いました。俳優陣も主にミュージカル界からではなく、ストレートプレイを中心に活動する方々に集まってもらいました。歌を本業としていない俳優が新しいことに挑戦するエネルギーが、占領下を生きた人々のエネルギー、生命力を描くのに重要だと考えました」