こんな死に方あり⁉ 驚きの最期
榊原康勝 【死の原因】…痔
徳川四天王の息子であり、徳川家にとって重要なポジションにあった榊原康勝。死ぬ半年前、大阪冬の陣(1614年)に徳川方として参加し、味方の窮地を救うなどの活躍をしていた康勝だが、すでに彼の身体には異変は起きていた。
“尻が痛ぇ!!!”…。
そして大阪夏の陣(1615年)にも特に激戦となった天王寺・岡山の戦いにの参戦した康勝のお尻は限界を迎え、鞍に血だまりができるほどの大量出血。戦いには勝ったものの、終戦後約20日後、この世を去ることになってしまった。

毛利幸松丸 【死の原因】…生首を見たトラウマ
2歳にして毛利家を継いだ幸松丸。9歳の時参加した合戦で、兵たちの武功を確認するための大切な場・首実検(討ち取った敵方の首を大将に見せて討ち取った者の評価を決める)に当主として絶対参加だったため、毛利元就ら家臣によって嫌々参加させられた(※諸説あり)。いくつもの生首が運び込まれる首実検は刺激が強すぎたのかもしれない…。生首を見たショックは幸松丸にとって大きなトラウマとなり、それがきっかけでこの世を去った。幸松丸の死後、家督を相続した元就は中国地方の覇者となり、その名を天下に轟かせることになる。








