自由なファッションを教えた国際プロレスと母

──お父さまの他にも刺激を受けた方はいましたか?

母(浜口初枝)がやっていた小料理屋によく来ていたプロレスラーの方々ですね。父が所属していた国際プロレスのみなさんはアロハシャツをよく着ていて、特にマイティ井上さんがアメリカから帰って来られたときのスタイルがとてもイカしているんです。父もインスピレーションを受けていました。

というのも、プロレスラーの方は自分から服を似合うものにしていくんですよね。「俺はこうだよ?」って、とても堂々としている。そのたたずまいが何よりカッコイイんです。

浅草にはアニマル浜口が会長を務める「アニマル浜口レスリング道場」がある
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──お母さまからの影響も大きかったのでしょうか?

母は「オシャレをしなさい」と常に言っていました。私、13歳でピアスをあけたんですよ。最初は反対されると思ったんですけど、母は「絶対にやりなさい!」ってノリノリでした(笑)。一緒に病院まで行って、あけるところを横で見ていてくれたりもして。「レスリングは格闘技だけど、マットを降りたらオシャレを楽しみなさい」と背中を押してくれました。

格闘技ってプレッシャーがかかるんですよ。女子として闘争心を丸出しにして向かっていくために、自分の中で何か後押しになるものが必要だったんです。なのでファッションやヘアスタイルで気合を入れて、自分に元気を与えるしかなかったんですよね。

お気に入りのハットかベレー帽で迷っている様子
お気に入りのハットかベレー帽で迷っている様子

「結果が良くても悪くても街に出ていました(笑)」

──世界選手権の合宿では枕元にファッション雑誌を何冊も置いていたとお聞きしました。

そうなんです。『SPUR』とか『GINZA』とか、あとは『FUDGE』とか『STORY』とかも置いていましたね。最近の私は『FUDGE』のスタイルなのかな、どうなんだろう。

合宿は周りが田んぼだらけで、コンビニも何もないような山奥で追い込むことになるんです。だからこそ、雑誌を開いてファッションの世界に逃げることが必要だったんですよね。

──アスリートとして身体を鍛え上げていくと、以前まで入っていたサイズの洋服が入らなくなったりするのでは。

そう、だからオーバーサイズのものをそろえるようになったんです。デニムが好きになったのもそれが大きくて。

まだH&Mが日本に上陸していない頃、ヨーロッパへ海外遠征に行くと必ず寄るようにしていました。海外はサイズが大きいんです。スニーカーも少し大きめがいいので26.0cmのサイズを探すんですけど、日本にはあまりないんですよね。

他の選手は疲れてホテルでゆっくり過ごすことも多かったんですけれど、私は結果が良くても悪くても街に出ていました(笑)。

世界各国を周っていた思い出を、楽しそうに語ってくれた
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