福井光子とクリス・トーマスの出会い
ただし、それはごく一部の関係者の間だけのことで、一般にまではまだまだ届かなかった。
だが、バンドに大きな変化をもたらす出来事が、すでにロンドンで起こっていた。ファースト・アルバムのレコーディングを終えたバンドのメンバーは、1ヶ月ほど充電期間としてロンドンに滞在していた。連日コンサートや映画に通い、ショッピングを楽しむのが目的だった。
そのなかで起きた新たな出会いについて、ミカがこう記している。
そんなある日、私たちはロキシー・ミュージックのコンサートを音楽・映画評論家の今野雄二さんのはからいで聴きに行った。休息時間に席を立った私は、向こうから歩いてくるジーンズ姿の男性に、「トイレはどこですか」とたずねた。彼こそ、名プロデューサー、クリス・トーマスだった。
クリスは1968年にビートルズの『ホワイト・アルバム』にアシスタント・プロデューサーとして関わったが、プロコル・ハルムやピンク・フロイド、バッド・フィンガー、ロキシー・ミュージックなどのバンドの制作も手がけていた。
トイレの場所をたずねた私は、彼がそんな人物だということに気づきもしなかったし、男女の出会いにしても、お世辞にもロマンティックとは言いがたい。
席に戻ろうとするミカに、「あなたは日本のサディスティック・ミカ・バンドのメンバーですね」とクリスが話しかけてきた。興味を持っているのでぜひレコードを聴かせてくれと言われたミカは、「もちろん、よろこんで」と答えた。
日本に帰ってからクリスにレコード送ったところ、折り返しテレックスで返事が来たのだが、そこにはバンドのプロデュースをしたい、しかも日本でと書いてあった。
ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーと知り合った加藤もまた、その人脈からクリスとは自然につながっていた。
来日したクリスをプロデューサーに迎えて、2枚目のアルバム『黒船』のレコーディングが1974年の2月から始まった。
音楽を創造することに関しては徹底してこだわる加藤にとって、それは本物のロック・サウンドの追求の場となった。そしてミカにとっては、恋の始まりとなっていく。
水面下での大波乱はあったけれど、二枚目のアルバム『黒船』は無事出来上がった。プロモーションのためロンドンに行かなければならなかったが、スケジュールの都合で、私ひとりだけで出かけることになった。
そこで数週間ぶりにクリスに再会。あくまでもスケジュールの都合だったのだが、クリスは自分に会うために来たのだと信じていた。もっとも、クリスに会いたいという気持ちがあったのは事実だけれど。
サディスティック・ミカ・バンドはこの年、精力的にライブ活動を行ってキャロルとのジョイント・ツアー、日比谷野音のコンサート、福島県郡山市で開催された「ワン・ステップ・フェスティバル」にも参加している。
そして10月5日にシングル「タイムマシーンにお願い」、11月5日に『黒船』がリリースされると、日本の音楽史に残る傑作という評価を得たのである。
だが、3枚目のアルバム『Hot!Menu』のレコーディングのためにクリスが再び来日した頃には、ミカとの関係が周囲にも隠せなくなっていた。














