犯行計画を思いつく場所

酒井 「わたしを庇わないで」には「『庇う』という行為はその庇われる人の劣勢を一方的に確定してしまう」という一文がありますが、非常に鋭くていい言葉だなと思いました。ちょうど今、アリス・マンローの『ジュビリー』(小竹由美子訳、新潮社)を読んでいるんですが、この長編は作者が自分の子ども時代のできごとをなぞりながら書いた自伝的小説なんです。読んでいると、アリス・マンローも思ったことをそのまま隠さずに言う人だったのかと勇気づけられます。そこには語り手が何か悪いことをしてしまったときに、大人から庇われたエピソードが書かれているんですが、彼女がそのとき思ったのは、許されることには特有の恥が生じる。ということでした。
石田 なるほど。その感覚はよくわかりますね。
酒井 石田さんのさっきの一文がその部分と繋がって、石田さんとアリス・マンローの共通性を感じました。
石田 いえいえ、恐れ多いです。でも私は酒井さんの『うまれることば、しぬことば』のようなエッセイを大量に浴びて大人になったので、人の言動を額面どおりに受け取らない本能といいますか、そういう傾向は強いと思います。
酒井 それは石田さんにとっていいことなのだろうか(笑)。ほかにはどんなものを読んでいたんですか?
石田 高村薫さんと古処誠二さんが好きです。あと、本格ミステリーも好きです。エモーショナルな話というより、淡々とした無骨な話や、トリック系の話が好みでした。
酒井 「世紀の善人」でも密かに犯行を企んでいる人が出てきますよね。もしかしてあそこは石田さんが読んできたミステリー小説からの影響があったりしますか?
石田 あるかもしれません。あれは職場で思いつきました。あの小説には専務のお薬ボックスに錠剤がむき出しのまま入れられている様子を書きましたけど、薬が無防備に机の上に出されている光景は職場でふつうに見かけるんですよね。私自身もよくやります。冷静になると非常に大胆なんですけど、一つの部署に長いこといるとそうなっちゃうんだと思います。パスポートをポンっと置きっぱなしにしている人もいますし。
酒井 そうか、石田さんが会社で思いついた犯行計画だったんですね。じつは私も少しだけですけど、会社で働いたことあるんです。そのときには会社って家族みたい、と感じたんですが、今もそういう感覚はあるんでしょうか?
石田 あると思いますね。

前髪とおでこは汚い

酒井 私は松本清張を熱心に読んでいた時期があるので、悪人を応援しちゃうんですよ。彼らの罪が成就しますようにと思いながらミステリー小説を読むことがよくあります。「世紀の善人」でも、悪いことを考える主人公につい肩入れしていました。頑張れ、って。
石田 私も悪人を応援する派です。
酒井 最後、主人公は会社で倒れている人を蹴りますよね(笑)。
石田 そうですね。私は口弁慶というか文章弁慶なので、殴ったり蹴ったりする描写を書いても何とも思わないんです。もちろん私自身は人を殴ったことないんですが。実際には人を殴ったことがないのに文章では平気で乱暴なことを書くなんて、いい子ちゃんですよね。
酒井 というか、それがふつうでは(笑)。
石田 そうでした。いい子ちゃんじゃない、ふつうの人でした(笑)。
酒井 きっとそういうふつうの人だからこそ、みんなが読んでスカッとする物語を書けるんじゃないかな。常日頃から殴っている人だったらきっと書けないと思う。鬱憤がたまってないだろうから。
石田 そうかもしれませんね。引き続き人を殴らないようにしたいと思います(笑)。
酒井 あと、今回の本で嬉しかったのは前髪チョンチョンについて触れてくれたことです。「小人二十面相」には、卒業アルバムの撮影のときに主人公の前にいた子が前髪をチョンチョンと触っている様子が書かれていますよね。手にワックスがついているわけじゃないからビフォーアフターで何も変わらないのに、「前髪に触れば触るほどビジュアルが向上するかのような熱意でもってそれを続ける」と(笑)。私も女の子たちの前髪には前から疑問があったんですよ。
石田 前髪って興味深いですよね。サンドラ・ヘフェリンさんの著書『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』があるほどに。
酒井 前髪は人格を語りますよね。意思が宿っているというか。
石田 私は酒井さんのような大人っぽい前髪に憧れるんですが、ハードルが高くも感じるんです。なんというか、自分のおでこキモいなって感じるので。でもそれってけっこう多くの人が感じていることかもしれません。オルチャンデコという韓国の美容整形があるのをご存じですか?
酒井 初めて聞きました。
石田 ヒアルロン酸を入れるなどして、おでこのかたちを丸くする施術のようです。私みたいな絶壁のおでこじゃなくて、自然な丸みのあるおでこにするために。
酒井 え、私も超絶壁ですけど、そんな恥に気づいてなかったです。
石田 いまやおでこは恥部なんですよ。だから前髪チョンチョンしたくなるのかもしれません。私、この前も懲りずに前髪チョンチョンする女のことを悪く書きました。女の人って死ぬほど前髪を触るじゃないですか。スマホやテレビのリモコンもそうですけど、手でたくさん触るものは不衛生だと言われています。そう考えると、前髪も相当汚いと思うんですよね。だから、美醜を気にするうら若き乙女の前髪はおっさんのすね毛より汚い、と。
酒井 コロナの頃は前髪を触るなという空気がありましたね。
石田 そうですね。あと、アメリカでは風邪予防として顔にあまり触るなと言われているそうです。なかやまきんに君が言ってました。
酒井 「わたしを庇わないで」には「私はこの世に無害な褒め言葉はないと思っている。何かの肯定は必ず何かの否定だ」という言葉がありますよね。あれも名言だなと思いました。
石田 私、もう三十五歳だというのに、誰かが小顔で褒められているのを聞くと、うっすら悲しくなるんです(笑)。決してそうではないんですけど、自分が貶されているような気がしてしまいます。
酒井 確かに他人が褒められているのを聞くと、心がちくっとしますね。善人の隣にいると自分の悪人度が増していくような感覚は私にもあります。
石田 私の職場では最近もう誰も悪口を言わないんですよ。みんな善人ばかりなので、なんだか悪いことばかり考えている自分がいよいよ陰湿に思われてきます。実際にそうなんですけれど。たまに若い子が上司の悪口を言っていると、よっし!! と安心しますね(笑)。
酒井 でも石田さんは悪口言わない世代じゃないですか。
石田 そうかもしれません。同世代は全然言わないですね。大丈夫か、こいつら、と心配になります(笑)。これは私の周りだけかもしれませんが、グチグチと文句を言うやつの方が仕事を一生懸命こなすように思います。
酒井 確かにそうかも。いい発見ですね。
石田 文句を言わないやつに限っていつの間にか休職している。私はヘンに言動がキレイすぎたり、SNSなんかで不特定多数の人に愚痴る人よりは、多少「嫌な人」でも、周りにいる人に文句なり悪口なりを言える人のほうが信頼できますね。
酒井 やっぱりガス抜きは適度にした方がいいんですよね。
石田 文句の多いやつを見ていて思うのですが、たぶん悪口言う人って言語化能力が高いんですよ。あいつが嫌いだという話をあらゆる角度から何時間でもしてくるじゃないですか(笑)。よく思いつくなあといつも感心します。悪口って人間の脳を活性化させるんでしょうね。
酒井 それは嬉しい見方です。しかし悪口を言わない人って、個室で友だち同士でいるときでも言わないのかな。上司死ね、とか。
石田 どうなんでしょうね。ガンガン言っていいと思います。
酒井 死ぬ前に「もっと本音を言いたかった」とか思うのかも。だったら日頃から言っておいた方がいいですね、閉ざされた空間で。
石田 日常にもっと悪口を、という結論が出ました(笑)。
酒井 こんな結論でいいのかな(笑)。今日はファンだった石田さんとお話しできてよかったです。
石田 こちらこそ、中学生のときから本を読んできた酒井さんとまさかお会いできるとは思っていなかったので、今日は感激しました。ありがとうございました。

(2026.6.18 渋谷・大盛堂書店にて)

「すばる」2026年10月号転載

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