意図せず笑われてしまう人の話が書きたかった
酒井 最後は表題作の「わたしを庇わないで」ですね。これには大きな衝撃を受けました。もう活字でほぼ書けなくなった「デブ」という文字がこれだけ出てくる小説はなかなかないのではないでしょうか。
石田 文字数あたりの「デブ」率でギネス記録にならないかな(笑)。
酒井 この十年でコンプライアンスの考え方もガラッと変わりましたもんね。書けないことがとても増えた。石田さんはデビュー何年目ですか?
石田 私はまだ五年目の生まれたてですね。新生児です。
酒井 ほやほやですね。私はエッセイを書きはじめてから数十年が経ってるから、デビュー当時と今ではコンプライアンス的な感覚が大きく違うんですよ。二十年くらい前までは「デブ」とか「ブス」とか平気で書いていましたし、それでウケもとれた。でも今は細心の注意を払いながら文章を書くようになりましたね。だから「わたしを庇わないで」を読んで、小説だとこんなに自由に書けるんだという発見がありました。小説っていいな、と。
石田 確かに、あくまでこの主人公の考えで、作者の見解ではありませんと言えばいいですからね。
酒井 エッセイだとそのまま、作者の意見として扱われますから。そこがエッセイと小説の大きな違いだと思います。「わたしを庇わないで」を書こうと思ったきっかけはなんですか?
石田 『すばる』で「笑い」の特集が組まれた際に、お声がけいただいたんです。笑いにまつわる話を書いてくださいということだったんですけど、絶対にいい話にはしたくないと思って(笑)。むしろ悪い話とかうがった見方をした小説が書きたかったので、意図せず笑われてしまう人のことを書こうと。
酒井 てっきり作者も太っているのかと思いきや、石田さんは太ってないじゃないですか。この小説を書いて「本物」の人から抗議とかはありませんでした?
石田 抗議はありませんでした。そもそもあまり読まれてないのだと思いますが。でも、私は平均よりガッチリ、ムッチリしていますし、思春期の頃はもっとそうでした。だから無関係の話ではないですね。
酒井 どれくらい……? という言い方も失礼ですが(笑)。
石田 競輪やスピードスケートの選手ってガッチリされているじゃないですか。大部分は筋肉だと思うんですけど、たとえば脚がパンパンですよね。あんな感じなので、昔は女の子らしく悩んでいました。
酒井 デビュー作の『我が友、スミス』もそうでしたけど、石田さんの小説は身体を意識した小説が多いですよね。何かスポーツをやってたのでしょうか?
石田 いえ、してません。中学、高校のときはずっと吹奏楽部でした。大学ではずっとバイトしてましたね。でも美容院に行くと必ず「お客さん、陸上の種目はなんですか?」と聞かれます。なぜか陸上をやっている前提で(笑)。体育会系に見えるんでしょうね。
酒井 『我が友、スミス』を読んで、絶対にハードなスポーツをしてる方なんだろうなと思っていました。
石田 ジムには熱心に通っていますが、大会に出るほどの根性はありません。ただ、私が通ってるのはガチ目のジムなので、周りには出ている人がたくさんいます。過去に一瞬だけ出てみようかとも思ったんですが、やっぱりビキニを着るとかポーズをとるとか減量するとか、自分には絶対に無理だと思って。
酒井 「わたしを庇わないで」には「デブ」の人の体感がめちゃくちゃリアルに書かれているじゃないですか。肉の揺れる感じとか。あれはどういうふうに理解できたのでしょう?
石田 すべて自分の体感ですね。会社のボロい軽自動車がキッズカートのようで、乗るとブルブルブルってなって。嫌でも自分の皮下脂肪を感じるんです。
変わりゆく時代のなかで書くこと
石田 書いた原稿がゲラになると、校正されますよね。たとえば、「デブ」って書くと、「デブ」じゃなくて「ふっくらしている」はどうですか? って言い換えを教えていただいたりします。私はそういう指摘を見ると、「ふっくら」と言えば罪が消えると思っているのか? と首を傾げてしまいます。他にも「健康そうな身体つき」とか「かっぷくがいい」とか「ふくよか」とかも「デブ」の言い換えかもしれませんが、そう言い換えたたところで罪が薄まるわけではないんですよね。酒井さんも、そういった指摘をされることはありますか?
酒井 以前はたくさんあったんですけど、だんだんそういう話自体を書かなくなってきました。コンプライアンス的な理由もあるけれど、それ以上に大きいのは年齢的なことかもしれません。若い頃は容姿の話でアッハッハと笑うのも楽しかったですけど、年を取ると笑えなくなってきました。自分自身も身体に不具合が出る年齢になってみると、容姿は自分でどうこうできるものではないことが身に沁みるようになってきます。
もちろん「わたしを庇わないで」は「デブ」を馬鹿にしたり、笑ったりするような小説ではありません。むしろ石田さんはこの小説で「デブ」をネタにすること自体について考えていますよね。私は逆に「デブ」をネタにしてきた側なんですが、この本を読んで首が痛くなるほど我が身を振り返りました。でもおっしゃるように言い換えの問題は難しくて、「八百屋」は差別語だから「青果店」と書けとか、「床屋」も使うなとか、いろいろ言われるじゃないですか。でも、「デブ」を「ふくよか」と言い換えても、「デブ」を特別視していないことにはならない。
石田 言い換えの問題は難しいですよね。
酒井 公の場で言っちゃいけない、書いちゃいけないことが増えたから、そのストレスはレストランの個室とかで話の合う友だちと吐き出しています(笑)。ネットで吐き出す人もいるでしょう。言い換えによって、本音が水面下に潜っていますよね。石田さんはそういうストレスが溜まりませんか?
石田 私はすぐになくなりますね。寝たら忘れるタイプなので(笑)。でも今のお話を聞いて、確かにもし私が三十年後、四十年後も相変わらず容姿をネタにしていたら、なんというか、凄まじいなと思いました(笑)。相手の白髪の本数を数えるおばあさんの話なんかを書いてドン引きされたいですね。
酒井 その頃には私は生きていないと思うんですけど(笑)、でも読んでみたい! 私は若者と呼ばれる人たちと三十歳くらいの差があるので、コンプライアンス的な感覚についてもだいぶ違うなと感じています。自分が若かった頃はずいぶん荒っぽかったですが、どんどん優しい時代になっている。そんな時代に「デブ」連発の「わたしを庇わないで」は、一つの問題提起をしていますよね。















