自民党は「参加できません」…38年ぶりの法案は審議入りすらされず

「高市さんだけだったんで、すごく期待したわけですけど……」

そう話すのは、1945年3月の東京大空襲で母と2人の弟を失い、父が重度のやけどを負った全国空襲連事務局次長の河合節子さん(87)だ。

約20年前に法制定を求める運動に加わり、国会開会中は、毎週木曜日に国会前で防空ずきん姿でリーフレットを配り、実現を求めてきた。だが、7月8日に約38年ぶりに参議院に提出された法案は、188回目のリーフレット配布から2日後の7月25日、国会閉会により廃案となった。

7月29日、東京大空襲で辺り一面が破壊された東京都墨田区にある、全国空襲被害者連絡協議会の事務所で話す河合節子さん(撮影/集英社オンライン)
7月29日、東京大空襲で辺り一面が破壊された東京都墨田区にある、全国空襲被害者連絡協議会の事務所で話す河合節子さん(撮影/集英社オンライン)

「昨年秋には、空襲議連の事務局長を、東京大空襲で焼け野原になった墨田区が地盤の自民党の松島みどり衆議院議員が務めていました。松島氏が総裁選で高市首相の陣営に入ったことも、高市首相だけが公開質問状に答えた背景にあったとみられます。

しかし高市氏が党総裁と首相になると、総理大臣補佐官に就いた松島氏は議連の事務局長を辞任しました」(議連関係者)

松島みどり衆議院議員(右)(写真/本人公式サイトより)
松島みどり衆議院議員(右)(写真/本人公式サイトより)

高市首相は1月に仕掛けた解散総選挙で大勝。2月に自民党が絶対優位の状況で国会が始まったが、昨年できあがっていた法案提出は遅れた。

「それでも超党派(でつくった法案)だから超党派で出せると期待していたんですが、自民党のほうから『党内で意見がまとまらないので参加できません』と連絡が来たんです」(河合さん、以下同)

空襲議連に参加する野党7党1会派の議員は、6月下旬に自民党内で取りまとめができないことに見切りをつけ、自民が加わらない形で法案を提出した。だが、国会はすでに終盤。皇室典範改正や国旗損壊罪を創設する法案などが焦点になるなか、救済法案は厚生労働委員会への付託もされず、国会は幕を閉じた。