埼玉県で生まれ育った長峰さんが伝承者になった理由

原爆が投下された広島市では、その年の12月末までに14万人が亡くなったとされる。

2025年8月6日現在で広島市の原爆死没者名簿に記載されている方は34万9,246名(広島市HPによる)。同年3月末現在で生存されている全国の被爆者(被爆者健康手帳所持者)は91,105名、平均年齢は86.66歳(厚生労働省HPによる)。

原爆ドームの名で知られる、川沿いに建つ平和記念碑。ユネスコ世界遺産。
原爆ドームの名で知られる、川沿いに建つ平和記念碑。ユネスコ世界遺産。
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被爆者本人から体験を聞ける時間が残り少なくなる今、広島市の被爆体験伝承者に認定されている人は約300人。伝承者としての活動は原則ボランティアだ。

埼玉県で生まれ育ち、現在は東京在住の長峰さんがなぜ伝承者になったのか。

長峰「1963年生まれの私は、子どもの頃から戦争の話をよく聞いて育ちました。1927年に生まれ、18歳で熊本で終戦を迎えた父は、長崎で勤労動員されていましたが、原爆が投下された日はたまたま熊本に帰っていて難を逃れた。その罪悪感もあったようですし、子どもの私に『戦争責任』という言葉すら語っていたほどでした。

1931年に水戸で生まれた母は『戦争中はとにかくお腹が空いていた』『あの頃と比べればへっちゃら』が口癖で、95歳の今でも『そんなに無理して食べなくても』と思うぐらい、食事は絶対残さない。自分の一番身近な存在である両親をそんな目に遭わせた戦争というものを、私は子ども心に憎いとすら思った。それが原点にありますね」

長峰由紀(ながみね・ゆき)
1963年生まれ。元TBSアナウンサー。現在はフリーアナウンサーとして仕事をしながら、被爆体験の伝承活動を続けている。
長峰由紀(ながみね・ゆき)
1963年生まれ。元TBSアナウンサー。現在はフリーアナウンサーとして仕事をしながら、被爆体験の伝承活動を続けている。

そんな原点を持つ少女は、成長していく中で、戦争を語る人が目の前に次々に現れるように感じたという。

長峰「小学生の時は、先生がある時『原爆を許すまじ』という歌を歌ってくれました。2番の歌詞まで真剣に歌う先生に、児童はびっくりしていましたが、今でも記憶に強烈に残っている一場面です。

中学になると英語の先生が『花はどこへ行った』の英語の歌詞を書いた手製のプリントを配って生徒に歌わせてくれました。世界的に有名な反戦歌ですが、プリントには手描きのイラストもあり、お墓にたくさんの花が手向けられていた絵がすごく印象に残っています。

高校3年の時には日本史の先生が最後の授業に、カセットデッキを持ち込んで、ジョン・レノンの『イマジン』を聴かせてくれました。

私は女子高だったのですが、先生が最後に『女性であろうと男性であろうと、あなた方は自分の人生を自分で選んで生きていきなさい。でもそれをさせてくれないのが戦争なんです。だから戦争は絶対駄目なんです』と言ったんですね。その時私は、そうか、戦争とは自由を奪っていくものなんだなと思いました」