金を積まなければ兵士が集まらない
モスクワの中心部では戦争はまだ遠く見えるが、地方では違う。仕事が少なく、賃金が低い地域ほど、軍の契約金は大きな意味を持つ。
普通に働いても手にできない金が、署名ひとつで入る。家の修理ができる。借金を返せる。子どもの学費も払える。入隊は愛国心だけで決まるのではない。貧しさが背中を押す。
英紙が取材したコミ共和国の村では、働き盛りの男性のおよそ3分の1が入隊していた。兵士が死ねば家族に金が入る。傷を負えば本人に金が入る。だが、村から働き手が消えれば、商店も工場も公共サービスも弱る。
地域はさらに貧しくなり、次の若者が軍へ向かう。戦争が貧困を利用し、その戦争が新しい貧困を作る。
この仕組みを支えているのが、巨額の補償金である。プーチン政権は兵士を英雄としてたたえる一方、その命に値段を付けた。死ねばいくら、傷を負えばいくら、契約すればいくら。金を積まなければ兵士が集まらないからだ。
ところが、金で回す制度は必ず金をめぐる争いを生む。偽装結婚が現れ、負傷詐欺が起き、家族同士が裁判で争う。国家自身も支払いを渋る。
養親や後見人が、育てた兵士の戦死補償を受け取れない事例もある。ワグネル戦闘員の遺族は、正規軍ではないという理由で請求を退けられた。
地域経済が悪化していると答えたロシア人が60%に
入隊させるときには祖国への奉仕を求め、死んだ後には契約や家族関係の細かな条件を持ち出す。国家が兵士と家族を裏切っている。
この制度が壊しているのは、家計だけではない。妻は金目当てではないか。兵士の傷は本物か。国は約束した金を払うのか。そんな疑いが積み重なり、家族と軍と国家の間にあった信頼まで削られていく。
社会の疲れも隠せなくなった。2026年のギャラップ調査では、地域経済が悪化していると答えたロシア人が60%に達した。軍への信頼も2022年の80%から66%へ下がった。政権内部向けとされる別の調査では、6割を超す人が戦争に疲れたと答えた。
それでもプーチンは戦争を止められない。
補償を減らせば兵士が集まらない。増やせば詐欺のうまみも増す。帰還兵を厳しく裁けば英雄神話が壊れる。従軍歴を理由に刑を軽くすれば、市民の安全が壊れる。地方への圧力を弱めれば前線が持たず、続ければ村が空になる。
プーチンが守ろうとしているのは、強いロシアという虚構である。その虚構を守るため、国民の命に値段を付け、傷に値段を付け、結婚にも値段を付けた。ウクライナをぶっ壊すために始めた戦争は、今やロシアの家庭、軍、裁判所、地方社会を内側から壊している。
ロシア社会が、崩れ始めている。
文/小倉健一 写真/shutterstock













