書いているときはその動物になり切って世界を見ています『動物哲学物語 ナイス実存』ドリアン助川×俵 万智_1
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ドリアン 最初にお目にかかったのは、前世紀末でしたかね、ある通信社の対談で。

 そう、そう、そうでした。

ドリアン たしか対談が終わった後に、近くの蕎麦屋へ行って、そこでずいぶん飲んだんですよね。それ以来、私のバンド(「叫ぶ詩人の会」)のコンサートにも何回か来ていただいたり、新宿ゴールデン街に行ったりとか。

 私とドリアンさんは同い年で、同級生なんですよね。コンサートにも行ったし、ドリアンさんの書くものがすごく好きで、『ベルリン発プラハ』(一九九八年)が出たときは、みんなであの小説に出てくるところを辿るという旅をやったり。

ドリアン 数人のグループをつくって、ベルリンからプラハまでの旅をしましたね。

 それから日本全国の駅弁に(ささ)げる詩を集めた『駅弁ファナティック』(二〇〇一年)もすごく面白くて。

ドリアン 今度の本に収録されている「クロコダイルの恋」という話は、音楽劇としてここ二十年以上歌い続けてきた作品が元になっているのですが、仙台で、私たちが「クロコダイルの恋」を歌って、その横で俵さんが短歌を詠むという、ちょっと変わった趣向のステージを組んだりもしましたよね。

 あれは面白かったですね。「せんくら」(仙台クラシックフェスティバル)という催し─クラシックといっても幅広く、いろいろな舞台をみんなで工夫を凝らしてやるようなお祭りなんですけど─があって、私は、その頃仙台に住んでいたので参加させていただいた。「クロコダイルの恋」はその後絵本(『クロコダイルとイルカ』作:ドリアン助川、絵:あべ弘士、二〇一三年)になりました。一つのテーマを、自分の人生の歩みの中で、変化させて温めて長く大事に育てていくというのは、素敵ですね。
 割と最近では、旭川でやった日本ペンクラブ主宰のフォーラム(「子どもたちの未来、子どもの本の未来」二〇一八年二月)。私たち二人と絵本作家のあべ弘士さんと三人で朗読もしました。『クロコダイルとイルカ』もそうですけど、あべさんは、それこそ動物を描かせたらピカイチ。

ドリアン 実は、あべさんに「世界で一番会いたい人は誰?」って訊いたら、「不可能かもしれないけど、俵万智さんだな」というんですよ。それじゃ声かけますよといって、あの会が実現したわけ。あべさんにしてみれば夢の世界だったんですよね。

 いやいや、それ前もっていっておいてくださいよ(笑)。
 常に会っているわけではないけど、ドリアンさんとは同い年ですから、同時代を走っている同世代の表現者としていつも意識の中にあって、今回の本も、すごくドリアンさんらしい形にたどり着いたんだなあと思いました。

同じ星の上にいる生き物のことはなるべく知りたい

 寓話的なしつらえというのがドリアンさんらしいし、すごくいいなと思いました。今のような、直接的な言葉というか、人の目の前でパーンと手を叩くような言葉が力を持ちがちで、言葉の洪水の中でものごとをどんどん処理していく時代の中では、人間、いかに生きるべきかというような大きなテーマを考えるのが難しいと思うのですが、今回の本のように動物を主人公にした寓話というものに仕立てることで、大きなテーマの中に柔らかく入っていける。
 その手法が一冊目以上に今回の方がこなれていて、このやり方で自在に書けるという喜びがあふれていると思いました。映画でもなんでも、たいていパート1の方がいいんですけど、このシリーズは絶対2の方がいい、と私は思いました。

ドリアン これはそう簡単な道のりではなく、その都度その都度、息が上がりそうな登山をしていたようなものですから、正直、1がいいとか2がいいとかいう客観的な見方はまだできなくて、ただただ這い上がってきたという感じです。でも、俵さんにそうおっしゃっていただいて、とても嬉しい。つまり、劣化しているのではなくて、見るべきところが2になってもちゃんとありますよ、と。しかもまだ伸びていっているんじゃないかって先生に褒めていただいた気分です。

 ことに自然や動物の描写が素晴らしいですよね。動物が獲物を探しに行くときに気配を消す感じとか、この人、動物をやっていたことがあるの? と思うぐらい文章に血が通っていて、同時に詩のような美しさもある。

ドリアン 書いていると本当にその動物になっちゃうんですよ、気持ちの上でね。ヒマラヤタールでもインドスイギュウでも、その動物になり切って世界を見ている、そういう時間が確実にありますね。

 そうした描写の下支えがあるから、そこから先の哲学的な話がスッと入ってくる。動物の部分がおざなりだったら説得力がないと思うんですよね。

ドリアン 哲学も同じなんです。大学の専攻は東洋哲学科でしたけど、西洋哲学も読んでいて、いろいろな哲学者の影響を受けた。そうすると、それぞれの哲学者の本を読むときには、その人の視線やものの考え方を通して、この世界を捉えていく。トラになったり、サイになったりするのと同じで、その哲学者になっちゃうんですよ。
 だから、そうしたさまざまな哲学者の世界の捉え方や命の捉え方と動物の視点が私の中でくっついたのがこのシリーズなんですね。

 今思い出したけど、ドリアンさんに「俵さんは、オポッサムに似ている」といわれたことがある。コアラに似ているとかだったらわかるけど、オポッサムって名前、人生で初めて聞いたから、一体何をいわれているのかよくわからなかった。どうしてこんなにいろんな不思議な動物を知ってるんですか。

ドリアン 同じ星の上にいる生き物─植物も含めてですけど─のことはなるべく知りたいという思いがあって、たとえば私のスマホには瞬時にして植物や虫の種類がわかるアプリが入っている。ああ、これがセンダンの花なのかとか、雑草といわれているものの名前を知ることの喜びみたいなのがあって、子どもの頃からそうでしたね。

 私のスマホにはワインのラベルにかざすとそのワインの値段や由来、産地などが出てくるアプリが入っているんですけど、大変反省しました(笑)。じゃあ、昔から自然や動物に興味があったんですね。

ドリアン 小学生の頃は帽子の中にいつも虫がいっぱい入っていましたから。でも、中学生ぐらいになると、虫よりも女の子の方に気持ちが動き出すじゃないですか。初キッスなんてことも夢想して、きっと相手の女の子は帽子の中でクワガタがもこもこ動いているような男とそんなことしないよなとか思い始めて、徐々に比重が変わってきた。もしあの子どもの気持ちのままいっていたら、今頃、昆虫博士か何かになっていたと思う。

 どっちがよかったんだろう(笑)。でも、一朝一夕の動物好きではないという、人生の厚みがありますよね。
 ひと口に哲学といっても本当に幅広くて、この本の中でも、それこそ人生いかに生きるべきかということから、辺野古の環境破壊の話、いじめ、差別、親ガチャまで、身近な問題も取り上げられているところがすごくいいなと思いました。