健康法としての朗読って素晴らしい
ドリアン かつてはバンドの中で語ったり朗読したり歌ったりしていましたが、一人でも朗読、声に出すということがとても大事だなと思って、今、この動物哲学シリーズの朗読会を全国でやっているんです。一編三十分ぐらいで読めるので、長さもちょうどいい。今度の本に入っている話も、順次朗読していこうと思っています。読むのではなく文章を全部頭に入れて朗読するので結構大変なんですけどね。
俵 一人芝居みたいな感じかな。
ドリアン そう、一人芝居みたいなもので、間にカンツォーネを入れたりとか、ここから始まるステージというのも新しく生まれつつある。それに朗読って健康法としてもいいんですよ。割と体力使うし、人前で読むには何回も練習しなきゃいけない。年取ってから走ったりとかあまりしたくないじゃないですか。その点、健康法としての朗読って素晴らしいなということに最近気づいたんです。
ところで、俵さんの歌集にどれぐらい生き物が登場するんだろうと、読み返してみたんですけど、そこには揺るぎないものがありました。俵万智さんという生活者、今を生きている人の感覚で生き物と接していて、たとえば「カラスから干し柿守る盾として秋の網戸に出番が来たり」(『アボカドの種』より)とか、生き物との関係を尊びながら、生活者の眼でその動物をどう捉えるかというスタンスを徹底されている。
私の場合は、いきなりトラになったりカラスになったりするわけですけど、俵さんは生活者としてどんと真ん中にいて、やっぱりこれが俵さんなんだなと感服して読みました。
俵 何か好きな生き物の歌ありました?
ドリアン 生き物がよく出てくるのは、やっぱり俵さんが石垣に暮らしていたときのものですね。「牧水が海亀ならば泣きながら浜辺に産んだ歌の数々」「なぜここに蝶がいるかはわからない「そんなものなの」「そんなものです」」(いずれも『未来のサイズ』より)。これ、すごく哲学入っていますよ、偶然と必然という意味では。
俵 それは西表島ですね。藤の花みたいにチョウがぶら下がっていて、花かと思ったらチョウでした。
ドリアン 「足元のヤドカリたちが動き出す私の気配が消えたしるしに」(『未来のサイズ』より)。
俵 これは実感ですね。
ドリアン これは歌でもあり詩でもあることの本質なんですけど、自分が体験したことをきちんと伝えるには、生き物と共感する部分がなきゃいけないし、そこには新しい地平と共感が両方含まれていないといけない。何回読んでも新しく感じるのは、そこに揺るがない万智さんがいらっしゃるからで、だからすごく安心して読める。
俵 沖縄にいるとき、私の住んでいる家の前にマングローブが生えていたんです。マングローブというのは汽水域に生息できる植物の総称なんですけど、別に塩が好きなわけではなく、塩分がちょっとあるところで生活すれば競合するものがいないということなんですね。木の中に黄色い葉っぱが一枚あって、そこに塩分を蓄えて、我慢できなくなったらその黄色い葉をぽろっと落とす。歌集にも書きましたけど、地元ではその葉を「犠牲の葉」と呼ぶんですね(「一枚に塩分集め落とす知恵 マングローブに「犠牲の葉」あり」(『未来のサイズ』より))。
生き物の生態が哲学的な示唆をもたらしてくれるということでは、その経験が強く印象に残っています。
ドリアン 生き物とは関係ないですけど、「40+20=60 母として成人している還暦の朝」(『アボカドの種』より)という歌、ああ、そうかって、すごくよくわかります。
俵 同世代ですからね。私、四十歳で子供を産んだから、子供が二十歳になるとちょうど私が還暦という、四十足す二十が六十ぴったりみたいな気持ちになりました。
ドリアン お子さんには、うーんとちっちゃいときにしか会ってないんだけど、ほんとうに可愛かったですね。
そんな時の流れも思い出せて、今日はとても味わい深い時間でした。ぜひまた「クロコダイルの恋」以来のコラボをやりましょう。
俵 いいですね。














