福沢諭吉と日本のフェミニズム
中村 さっき、日本と西洋とで家族に対する考え方が違うという話をしましたが、学生時代に西洋のフェミニズムの本を読んでいて、私は「何か違うな」と感じていたんです。後になってイギリスに留学したとき、「あの時の違和感の元はキリスト教だったんだ」とわかりました。日本で女性の問題を考える際には、その点をしっかり押さえておかなければならないと思います。
私が若い頃、アメリカ人女性が主婦の虚しさを書いた『女らしさの神話』という本が世界中で話題になりましたが、日本では「なぜ主婦ではいけないのか」という大論争が巻き起こりました。それは、日本と西洋とで「主婦」の役割が相当違っていたからです。
西洋では、キリスト教の「妻は夫に従うべし」という教えにより家庭における決定権は男性が握っていて、主婦には重要な権限が与えられていませんでした。一方、日本の主婦は伝統的に「家」を維持するための主要な役割を担ってきて、実際、家庭の運営にすごく高い能力を発揮してきたわけですよね。そういうところを切り捨てて、西洋の言説をそのまま持ってくるのは無理があると思います。
井田 今回の本にも書かれているように、日本では、企業という「大きな家」の中に家庭が組み込まれてきました。それは「男は仕事、女は家庭」という性別分業を固定化し、女性を周辺に追いやる構造でもあったけれど、一方では配偶者控除や年金の第三号被保険者の制度が作られるなど、「家庭を守る」という妻の立場を認める面もあったわけですよね。
中村 妻が家計を管理し、夫が妻からお小遣いをもらうなんて、西洋的な夫婦観ではあり得ないことですよ。
そうした日本と西洋の夫婦関係の違いを深く理解していたのが、私が専門としている福沢諭吉です。彼は当時の西洋近代思想を日本に紹介しつつ、単純に西洋を真似ればいいとは考えてはいませんでした。そこが、西洋の制度をそのまま日本に持ってこようとした梅謙次郎との違いです。
井田 明治民法を起草した、あの梅ですね! もう呼び捨てにしてしまいますが(笑)。
中村 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という福沢の言葉は有名ですが、西洋近代の「自由と平等」に女性が含まれなかったのとは違い、福沢は女性と男性を互いに独立した、完全に対等な存在だと考え、儒教の「陰陽説」も厳しく批判しました。
どう苗字を名乗るかが夫婦間の平等に関わっていることも、福沢はきちんと理解していました。1885年以降、つまり明治民法の編成が問題になっていた時期に、福沢は集中的に男女関係論について執筆しており、たとえば「日本婦人論」では、結婚はふたつの異なる家族の出身者が新しい家族を作ることなのだから、男系だけを重視するのは理屈に合わない、結婚に際しては男性、女性一方の苗字だけを名乗るのではなく、その間に新しい苗字を創造するのが妥当だと、述べています。
つまり、佐藤さんと田中さんが結婚するなら、両方から一字ずつ取って「佐田さん」にするといった感じですね。
福沢が描いた夫婦関係は日本の伝統的な「家」における夫婦のあり方に重なるもので、もし明治民法に福沢の考え方が採り入れられていたら、私たちはこんなにも長く夫婦別姓の問題に苦しむことはなかったでしょう。いまだに「夫権的家父長制」が日本の結婚制度で続けられていると知ったら、福沢もさぞ驚くだろうと思います。
井田 150年近く前に福沢さんのような主張があったことは、もっと知られてほしいですよね。
中村 今よりずっと「家」というものが重要とされていた時代でさえ、福沢のように考える人がいたわけです。現代の私たちも「家族とは、夫婦とはこうでなければならぬ」という頭の硬い議論に囚われず、もっと柔軟に色々なアイディアを出していけるはずだと思います。
動かない政治に草の根でどう働きかけるか
井田 私が選択的夫婦別姓の活動を始めたとき、「こんなに矛盾だらけの制度を改善しようという合理的な訴えなんだから、2年ぐらいで実現できるだろう」と思っていました。でも、8年経っても政治は動きません。国会議員に話をしていく中で、それこそ陰陽論とか、わけのわからないイデオロギーの壁に直面し、あまりの理不尽さに泣いてしまったこともあります。
第二次安倍政権の後の、菅、岸田、石破の3人の首相は全員、選択的夫婦別姓に賛成した過去がありましたが、それでも状況は変わりませんでした。政治が動かないなら経済界にプッシュしてもらおうと、何年もかけてお願いをして回り、今では経団連や経済同友会が選択的夫婦別姓を認めて欲しいと政府に要望書を出してくれています。
また、2024年にはジュネーブの国連女性差別撤廃委員会にも声を届け、夫婦同姓を定める民法750条改正について4回目の勧告を出していただくことができました。
2025年には28年ぶりの法案審議も始まったのに、今、高市政権誕生と解散総選挙によって廃案になってしまいました。一歩一歩やるしかないということはわかっていても、いつになったらこの壁を崩せるのかと思うと、なんだか果てしないな、という気持ちになってしまうんです。
中村 世の中、非合理的な人の方が多いんですよ。私たちの世代だって、夫婦別姓の話をもう50年くらいしてきているけれど、その間も揺り戻しは何度もありました。1996年にはもう少しで選択的夫婦別姓が実現するところだったのに、結局、ダメになってしまいましたしね(*2)。
だから、そんなに簡単に世の中が変わるとは私は思っていません。ようやく女性が首相になっても状況はちっともよくならないし、やっぱり地道に草の根から運動していくより他はないんです。女性の参政権獲得だって長い年月がかかったわけで、たぶん、あと10年くらいはかかるんじゃないかしら。
井田 あと10年ですか! 時間がかかるというのは理解できますが、若い世代に「選択的夫婦別姓でないと結婚できない、いつになったら実現しますか?」と聞かれて、はっきり答えられないのは辛いです。
中村 道は長いけれど、それでも私たちが若かった頃に比べれば、少しずつでも前に進んできているし、流れは確実に上向いていると思いますよ。選択的夫婦別姓に抵抗がない人も以前よりずっと増えているでしょう? 男性の育休取得率も2020年代から急激に上がって、2024年には40パーセントを超えました。これは、性別分業というシステムが解体されつつあることの表れだと思います。
井田 時々、絶望的な気持ちにもなりますが、諦めてはいけないんですね。
中村 あなたの活動を見ていてすごくいいなと思うのは、オンラインで情報を公開して、署名集めでも地元の議員への陳情でも、やりたい人が一緒に活動できる仕組みを作っているところで、それによって「夫婦別姓を求めている人がこんなにいる」という多数の声を届けられるようになったわけですよね。さっきは「夫婦別姓の実現にはあと10年はかかる」と言いましたが、そうやってテクノロジーを活用しながら運動を広げていけば、そんなにかからないかもしれません。
井田 今は会議もオンラインでできるなど、先輩たちの時代に比べれば便利になった面はあると思います。でも、1周回って、リアルな対面の場もやっぱり必要だなと実感しているんです。
昨年、『女性の休日』(*3)という、アイスランドのジェンダー平等がテーマの映画が公開され、この映画について語り合う場を全国各地で設けようと、呼びかけました。そうしたら、全国で少なくとも260を超えるイベントが行われ、オンラインでは吐き出せない心の奥底の気持ちを打ち明けてくれる人に大勢出会うことができたんです。ネットに不慣れな上の世代も来てくださって、「日本でも『女性の休日』のようなデモをやろうとしたけれど、こういう顛末で尻すぼみになってしまった」という貴重な体験談をお聞きしました。世代を超えて想いや経験を受け継ぐという意味でも、対面の機会は大事だと思います。
それで先生にお願いしたいんですけれど、今回の本のトークイベントを対面とオンラインの両方でやりませんか? 選択的夫婦別姓に関心を持っている人たちに、先生の言葉を直接届けられたらいいなと思うんです。
中村 夏は暑いから、オンラインならいいですよ。
井田 決まりましたね! トークイベントの前に読書会をやって、みんなでこの本を読んで感想を話し合うこともできそうです。皆さん、先生にたくさん質問できるよう、この本を買って読みましょう。
中村 ありがとうございます。
この本を書き終えて思うのは、私の代では夫婦別姓は実現しないだろうし、後は若い世代に託そう、ということなんですね。夫婦別姓の実現がなかなか進まない中、家事の分担や企業での女性の働き方など、目の前の小さな問題をひとつひとつ変えていくアプローチも必要だと思います。
そうやってそれぞれの持ち場で差別の解消を目指す中で常に頭においてほしいのは、大きな方向性として、私たちはどういう社会を望むのかということです。そのことを考える上で「国家の中で女性が自由と平等をいかに保障されるか」という視点は欠かせません。今回の本がそこに気づくきっかけになることを願っています。(了)
構成/加藤裕子 写真/五十嵐和博
*2 1991年に政府の法制審議会で選択的夫婦別姓についての審議が始まり、1996年に選択的夫婦別姓導入が答申された。これを受けて、法務省は民法改正法案を準備したが、国会に提出されることはなかった。法制審から答申があったにもかかわらず立法化されていないのは、この事例のみである。
*3 1975年10月24日にアイスランド女性の90%が仕事・家事のストライキを行った「女性の休日」が題材のドキュメンタリー映画。2024年に製作され、日本では2025年公開。














