疑うことを許されない怖さ

岩宮 第三話「夢見る家族」で、夢にとりこまれてしまったあとの未千たちに触れたからこそ、第四話「金の糸」の主人公である六実(むつみ)の健やかさには救われますね。複雑な家庭で育っているのに、誰よりも地に足がついている。彼が家事をする描写を読みながら、ああ、こんなふうに日常を大事にする人だから、あわいを生きることができるんだと感じました。
三浦 暗い展開ばかりじゃ息がつまるかな、と青春っぽい話を書こうとしたら、六実が爆誕したんですよね(笑)。彼もまた夢見の系譜に連なる子だから、もうちょっと神秘的だったり葛藤があったりする物語にしたかったのに、あまりに素直でいい子だから行き詰まる余地がまるでなかった。まあ、たまにはそういうケースもあるということで、いいかなと。
岩宮 高校時代の六実が世話をすることになる、クラスメイトの暴れん坊・ゴンゾーもすごくいい味を出していますよね。ゴンゾーは留年しているから、六実とは一歳違い。「夢見る家族」に登場する兄弟もまた一歳違いですよね。
三浦 そうなんです。
岩宮 やっぱり、それには意味があるんですよね。あんまり言うとネタバレになってしまいますが、そこに一つの浄化がある、と私は非常に胸を打たれたんです。
三浦 ありがとうございます。そういう想いを私も六実とゴンゾーに託しながら書いていました。夢を見ることも、どんな家族に生まれるかも、自分の意思ではどうにもならない。生きていれば、どんなに願っていても手に入らないものはたくさんある。それでも、永遠に終わってほしくない夢を見たとしても、六実は決して呑み込まれたりしない。そんな明るさを描けたことも、よかったなと思いますね。あと、二人はバンドを組んで、やがては武道館でライブをするほど人気になるんですけど、一度はこういうバンド小説を書いてみたかったので、あたためていたネタをついに出せた、という嬉しさもありました。
岩宮 カリスマの力を信じることは、一時の救いにはなっても、誰かを根本的に癒すものではないんですよね。
三浦 ああ、確かに。その発想は、なかったですね。喜久美のおかげで足が治った、みたいな描写はありましたけど、その場では治ったような気になって、火事場の馬鹿力で歩いて帰ったけど、実はずっと関節は痛いままなんじゃないかなという気がしますし。
岩宮 でもきっと「実はまだ痛い」と言うことは誰にもできない。「治ったことにしなきゃいけない」という圧が生まれてしまうのも、カリスマ性の一つなんだと思うんですよ。共同体のなかで、一度共有されてしまった「喜久美のおかげで救われる」という物語を破壊する役目を、自分が背負うことはとてもじゃないけれどできないから、黙り続けるしかない。そのおそろしさは、最後まで描かれていましたね。そして、そうした疑うことが許されない支配は、母親からの呪縛にも重なる。最終話でふたたび喜久美と輝久の物語に戻ってきたとき、改めて私はこの作品はファンタジーではない、家族の物語なんだと感じました。輝久だけじゃなく、母親の呪縛に気づいて抗うことは、多くの人にとって人生の課題になりうるものですから。

「日常と非日常のあわいで」三浦しをん×岩宮恵子(臨床心理士・公認心理師)『夜の恩寵』刊行記念対談_5
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