事故物件の有効活用
もちろん原因が分からぬまま物の怪が住みだすようになったお化け屋敷もある。その手の屋敷に住んだ藤原兼家は病を得てまもなく死んでしまい、そこは寺になったものだ。
古典文学に描かれる凶宅は、むしろ原因不明のまま凶宅となった所が多く、藤原兼家と同時代の源高明の住んでいた桃園邸もその一つだろう。
当時、桃園邸の寝殿の東南の母屋(寝殿の中央の部屋)の柱には、節穴が空いていた。その節穴から、夜になると小児の手が出てきて手招きするという怪異があった。
高明が穴の上にお経を結びつけても、仏の絵をかけても、怪異はやまない。ところがある人が戦に用いる“征箭”(征矢。四枚羽のとがり矢)を一本穴に差し込んだところ、矢のある時は怪異がなかったので、矢の柄部分を抜き、矢の身の部分(やじり)を深く穴に打ち込んだところ、怪異は止まったのだった(『今昔物語集』巻第二十七第三)。
が、源高明は左大臣の位にまで上りながら、ざん言によって大宰府に左遷されてしまい、のちに帰京するものの、政界に復帰することはなかった。
左遷されるという災難があったから、こんな話が後付けで作られたという可能性もないではないが、もともと物の怪の出る屋敷であった上、その物の怪に敬意を表すどころか、矢を打ち込むようなことをしたために(正月に飾る「破魔矢」のような魔よけ的な意味があったにしても)、家の主人である高明が災いに遭った……そんなふうにも解釈できるのではないか。
この桃園邸ものちに世尊寺という寺になっている。寺にすることは、凶宅の行方としてはポピュラーなもので、事故物件の有効活用と言える。













