極右によるフェミニズムの取り込みと「免疫」
ネメジスのような団体やフェモナショナリズムの高まりは、右派の女性運動が新たな段階に入ったことを示している。反同性婚運動で主体的に動いた女性たちは、ジェンダー平等や女性の権利を拒否し、伝統的な女性性や家庭内役割を重視するという意味で、あくまで「反フェミニスト」であった。
これに対して、ネメジスのような団体は、自らを「フェミニスト」と名乗っている。すなわち、右派・極右の女性運動は、もはやフェミニズムを正面から拒絶するだけではなく、その言葉を排外主義や性差本質主義に沿うかたちで、自らの政治のなかに取り込みはじめているのである。
なぜ極右は、フェミニズムのように本来は相容れない思想までも取り込むのか。この問いを考えるうえで、イタリアの政治学者ロベルト・エスポジトの「免疫」概念は有効である。
エスポジトによると、免疫とは、共同体や国家が外部の危険から自らを守るために、その危険を完全に排除するのではなく、弱められたかたちで内部に取り込み管理する仕組みを指す。つまり、共同体はときに外部を制御可能な形で内部化することで、自己を維持し、強化するのである。
つまり、極右は女性やマイノリティを単に排除するのではなく、無害化された形で取り込み、自らの秩序を補強するために利用することがあるのだ。
極右によるフェミニズムの利用も、この免疫化の一例として考えることができるのではないか。極右は、フェミニズムの語彙を都合よく取り込もうとする。女性の自己決定や選択をめぐる議論は、個人の自由や自己実現を強調する言説へと置き換えられることで、社会構造への批判を失った新自由主義的フェミニズムとして回収される。
「女性を守る」という語りは、移民やムスリム、性的マイノリティを危険な存在として位置づけ、排外主義や差別を正当化するために用いられる。こうしてフェミニズムの批判的視座は弱められ、国家・人種・性の境界を守る道具へと作り替えられていく。
ただし、極右がフェミニズムを都合よく利用しているからといって、極右の女性たちを受動的な「被害者」であるかのように見ることもできない。一部の女性は、保守的、反動的、あるいはファシズム的な思想を積極的に引き受け、その担い手として主体的に行動するからだ。
極右は、女性に従順さ、献身、礼儀正しさ、家庭への帰属を求める一方で、彼女たちに怒りや不満を表現する場も提供する。しかし、その怒りは男性中心の支配構造ではなく、移民、性的マイノリティ、宗教的マイノリティなど、より周縁化された集団へと向けられる。
極右の女性たちは、与えられた役割のなかで自らの位置を見出し、一定の発言力や優越感を得ようとする。つまり、ここで機能しているのは、既存の秩序を問い直すのではなく、その秩序の内部で、すでに周縁へと押しやられている人々を排除の対象とすることで、自分の位置を相対的に確保しようとするエージェンシー(行為主体性)なのである。













