フェモナショナリズム

ケルン事件のように、女性の権利や男女平等の名のもとで人種差別的・排外主義的な言説が正当化される現象を、イギリスの社会学者サラ・ファリスは「フェモナショナリズム」と呼んだ。

これは、フェミニズムの要求が国家主義的・治安的言説に取り込まれ、「女性を守る」という名目でムスリム男性や人種化された男性を危険な存在として標的化し、排外主義を正当化する構図を指す。

この構図において、女性は自ら権利を求めて闘う主体ではなく、国家によって保護されるべき受動的な犠牲者として描かれる。同時に、国家は「女性を守る」秩序の担い手として自己を正当化する。つまり、女性の安全や権利を語る言説が、国家権力の強化や排外主義的政策を支える役割を果たしてしまうのである。

さらに、この言説は「西洋=進歩的」「イスラーム=女性差別的」という植民地主義的な図式を再生産する。

ジェンダー平等は西洋社会の優位性を示す証拠として利用され、イスラームや移民社会は、遅れたもの、女性を抑圧するものとして表象される。

こうして、ジェンダー不平等は西欧社会全体の構造的問題としてではなく、「移民の問題」として外在化されてしまう。その結果、西欧社会内部にも存在する格差や構造的な性差別は不可視化され、フェミニズムが本来持っていた家族、性別、国家秩序への批判力は弱められてしまうのだ。

女性に対する性暴力は、特定の文化や民族に固有の問題ではない。だからこそ、性暴力批判のためにレイシズムを許容することも、反対に、レイシズムを批判するために女性に対する性暴力の問題に目を瞑ることもすべきではない。性差別と人種差別は相互に結びつき、互いを強化しあうため、どちらか一方を犠牲にして他方に対抗することはできないからである。

ところが、フェモナショナリズムは、社会に存在する怒りや不満を、構造的な家父長制や性差別そのものではなく、移民やムスリムといった周縁化された集団へと向けてしまう。

この点は、ジェンダー・ギャップの宗教的要因にも関わっている。女性の権利の名のもとでイスラームや移民への警戒が語られることで、移民やイスラームへの反発は道徳的に正当化されるようになり、その結果、かつて女性たちを極右から遠ざけていた宗教的な防波堤も弱められたのである。

近年の国民連合は、こうしたフェモナショナリズム的言説を積極的に取り入れている。そのことを象徴的に示しているのが、2024年の国民議会選挙直前にYouTubeに投稿された、国民連合の若き党首ジョルダン・バルデラの演説である。

「フランスのすべての女性たちに呼びかけたい」と題されたバルデラの演説動画は、「女性の権利」がいかにして極右の言説に取り込まれていくのかを端的に示していた。

まず強調されたのは「男女平等」、とりわけ「服装の自由」である。ここで主な標的として暗に想定されているのはイスラームであり、とりわけヴェールをめぐる議論である。

次に、女性器切除への対策強化も掲げられるが、そこにはとくにアフリカ系移民を意識した排外主義的な含意が見られる。

「女性の安全」を守るという主張も、移民や非白人男性を危険視する治安強化の言説と結びついている。また、子宮内膜症や乳がんへの医療支援は語られるものの、それは主に「産む性」としての女性を前提にした生政治的な関心にとどまっている。

賃金不平等やセクシュアル・ハラスメントといった、女性が日常的に直面する構造的な問題は、ほとんど扱われていない。つまり、この演説における「女性の権利」は、女性の解放そのものよりも、イスラームや移民を問題化し、排外主義を正当化するための言説として機能しているのである。

2024年6月17日、バルデラの公式Youtubeチャンネルに投稿された動画「フランスのすべての女性たちに呼びかけたい」より一場面。「女性は自由であり、これからもそうあり続ける」と語っている。
2024年6月17日、バルデラの公式Youtubeチャンネルに投稿された動画「フランスのすべての女性たちに呼びかけたい」より一場面。「女性は自由であり、これからもそうあり続ける」と語っている。
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