『テニミュ』時代の僕は史進だった
──史進の話をしたいんですが、魯智深は少華山を朱武たちに任せて、「まだ大事なものが育ちきっていない」史進を連れて王進先生のもとへ向かいます。
木村達成(以下同) 史進が王進先生と王母様に久々に会った場面は泣けるシーンでもあるんですけど、僕はちょっと笑ってしまいました。少華山の史進とギャップがありすぎて。
「王進の母に手招きされ、泣きながら史進は立ちあがって、縁に座った。手を握られると、嗚咽を洩らしはじめた。
『冷たい手をしている、おまえは。なにかに、温かさを奪われたように』
史進は、大きな躰を縮め、膝に涙を落とし続けている。」
(北方謙三『水滸伝』第三巻「輪舞の章」集英社文庫 p248)
愛くるしいですね。
──史進は真っすぐ過ぎる性格ですね。
王進先生との会話がまたよくて、すごく刺さったんです。
「『濁ったな、おまえは。澄んだ水が底から掻き回されてしまったように、いまのおまえは濁っている』
『なぜでしょうか。私は、以前よりも強くなったと思っております』
『おまえは、弱い』
『強いと、先生はおっしゃいました』
『強いが、弱い』」
(北方謙三『水滸伝』第三巻「輪舞の章」集英社文庫 p252)
前回、史進の気持ちがわかるって言いましたけど、僕にもこの時の史進と同じような時期があったんです。
二十歳前後の頃、まだ自分よりも上だと感じる人に出会っていないと思い込んでいて、根拠のない自信みたいなものがぶわーっと出過ぎていたんです。それで突っ走り過ぎてしまうことがありました。
作品で言うと舞台の『テニミュ』(ミュージカル『テニスの王子様』)の時です。周りの人に「おまえらと仲よしごっこをしているつもりはないから」みたいなことを平気で言っていました。
──まさに史進ですね。ついてこられないならやめちまえ、みたいな。
マジでそうでした。『テニミュ』って、舞台稽古の前に合宿があったんです。それがとんでもなくきつかった。テニスはもちろんですけど、基礎体力をつけるために走らされたりしていました。
でも、僕は走りでも何でもいつも一位だったから、できないやつの気持ちが分からなかったんです。できないやつとペアを組まされて「助け合いって何なん? 意味あんの?」って思っていました。それっていま考えるとバカだからなんですよね。史進もバカなんですよ、そういう意味で。
──史進はまだ成長の過程にあるんですよね。『水滸伝』を通して成長していくキャラクターです。
『水滸伝』には成長のために必要なことがちゃんと書かれているんですよね。王進先生に言われて武松と対決するシーンも好きです。
史進は棒を使いますが、武松ぶしょうは拳だけで応戦して史進を瞬殺。史進の棒と自信がへし折られます。でも、このシーンもドラマ版にはないんです。やりたかったですね。本当に残念です。
この流れですごく印象的だった言葉が、王進先生の「おまえは強いが、強さを拠よりどころにしすぎる。強さに頼りすぎる。それが、おまえの弱さなのだ。強さがすべてと考えている弱さ。それがわからぬか」(p255)。
史進はその言葉の意味がわからない。それで王進先生のところでしばらく修行することになります。
強い人間が「強さの弱さ」に気づくには、時間がかかるんですよ。僕もいまになって、二十歳頃の自分は何もわかっていなかったなって思います。














