ビタミンB1を入れた生理食塩水を200ml点滴し…

浦和戦から2日が経過した2007年4月23日。症状はまだ回復しなかった。妻が所用で大阪の親戚の家に行っていたが、食事もできず一人で家にじっとしているような状態であった。水分を摂るようには努めたが、喉の痛みと腹痛に襲われた身体はやはり水も受け付けなかった。

この日は麻生グラウンドで午後から練習があった。休むわけにはいかない。何度も芝の上に倒れそうになりながら、それでも周囲にさとられないように全体練習をこなしたあと、ようやく我那覇はチームドクターに自分の症状を伝えた。

写真はイメージです
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ドクターの名は後藤秀隆。関東労災病院から出向してきたこの人物を我那覇は信頼している。朴訥で口数は多くないが、誠実な人柄で選手の人望も厚かった。

後藤自身も医師仲間でチームを作るほどまでにサッカーを愛していた。当然ながら、サッカー選手はサッカーを大切にしてくれる人間を好きになる。また我那覇の妻、温子も関東労災病院の看護師をしていたため、職場の同僚から後藤の評価も聞き及んでいた。

フロンターレのクラブハウスは診療所として認可を受けているので、医療行為ができるようになっている。後藤が診察すると、体温は38度5分、水を口に運ぶもやはり飲めず水分摂取困難、咽頭痛、感冒と下痢と診断した。

2日間にわたって十分な食事と水分が摂れないまま練習した結果、脱水症状を起こしていたのである。緊急の水分補給が必要であると感じた後藤は補液を考え、ビタミンB1を入れた生理食塩水の点滴治療を施すことにした。

我那覇は元来、投薬や身体に針を入れることが大嫌いであった。温子が薬を飲ませようとしてもごまかして飲まなかったり、注射針を腕に刺すことに至っては、一度インフルエンザにかかって40度近い熱を出したとき以来だった。

「僕はとにかく点滴や注射が嫌で、できれば自力で治したかったんですけど、あのときは本当に気分が悪くて、それで先生に相談しました」

気分不良で水分を摂ることができない我那覇の状態を確認した後藤は、500mlの投与を決めた。同サイズの点滴ボトルを準備しようとしたが、フロンターレは2日後の4月25日にACLで韓国の全南ドラゴンズと試合をすることになっており、500mlの点滴ボトルはすでに荷造りされていた。

前年、ACLを戦ったジュビロ磐田が、アウェイで下痢に悩まされて、点滴ボトルが足りなくなり、あとからスタッフが持っていった話を聞いていたので、点滴はできる限り多めにパッキングされていたのである。

仕方なく診療所にあった100mlの生理食塩水ボトルを何本か繫げて点滴することで対応することにした。

ビタミンB1を入れた生理食塩水を200ml点滴したところで、気分が良くなってきた我那覇が、回復してきたので様子を見たいと言ってきた。念のために抜針する前に水を飲ませたら今度は喉を通ったので、200mlの投与で打ち切った。

気分が改善された我那覇は、後藤に礼を言って診療室を出た。点滴治療に要した時間は30分ほどであった。

すでに他の選手は帰宅していた。駐車場に向かうこの最後の選手を記者たちが囲んだ。我那覇は顔見知りのテレビ局の記者に問われるままにACLへ向けての抱負、浦和戦のゴールの感想、今まで診療室で点滴治療を受けていたことを語った。愛車に乗り込むときには、もう次の試合に向けて気持ちを引き締めていた。