「メタル話が通じるごくごく一部の友人」と「流行りの音楽を消費するだけのその他一般人」

中学進学。周囲に様々なカルチャーが浸透していくようになると、いっそうみんなとのギャップは激しくなっていった。

流行りの音楽についていけないのではなく、それがダサくてカッコ悪すぎて、嫌悪すら感じるようになっていった。

テレビでは信じられないほどにダサい音楽が満ち溢れていて、その中でも当時の僕が最もゲンナリしたアイドルバンドのC-C-Bについて、ファンの女子の前で「スィースィービー」と正しいアルファベット発音をしたら「シーシービーだ」と嘲笑混じりで訂正された。

C-C-Bは全体にクソダサいがバスドラムをフェイントで一拍飛ばしたり裏で打つのはカッコいいと話したら、「ダイスケみたいのは原宿とか絶対行かないでしょ」という意味不明の食い違う返答が戻ってきて、何よりゲンナリした。

彼女の中では「C-C-Bを聴く」ことと「中学生が原宿で遊ぶ」ことが同じ文脈、つまり音楽ではなく流行りの先端を体感することが目的なのだと理解したからだ。

そんなに悪いやつじゃないと知ってる男子でも、少しいいなと思ってる女子でも、聴いている音楽が酷かったり、流行りを追ってそれまで聴いていた音楽をどんどん捨てていくような姿を見ると、ものすごく幻滅するようになった。

スポーツみたいな共通の目標に向かって協力するシーンは好きだったから、そうした活動を通じて友人はいたし、こんな性格だから軽くシカトされるようなことはあっても酷いいじめを受けるようなことはなかったが、何人もの友人と一緒にいる時は大抵ヘッドフォンで音楽を聴いて、話半分で音楽に没頭していた。

メタルを愛聴するようになってからはほとんどのシーンで自分が外野であること、圧倒的マイノリティであることを意識させられるように。(写真/PIXTA)
メタルを愛聴するようになってからはほとんどのシーンで自分が外野であること、圧倒的マイノリティであることを意識させられるように。(写真/PIXTA)
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ゲームセンターのアーケードゲームの筐体に尖ったFM音源チップ(ヤマハのYMシリーズ)が積まれるようになり、ゲーセンに入り浸っては他人のやっているゲームの筐体に突っ伏して耳を当て、音楽を聞き取ったり家に帰って自分だけがわかる楽譜(五線譜ではない)に起こしたりした。

サードプレイスとなったゲーセンで他校や年上の友達ができたことに小さな優越感を感じながらも、彼らのヘッドフォンからアイドルソングが流れることに、また孤独を感じた。

ウォークマンの中にヘビメタ成分が入ってくると、ネオクラメタル(イングヴェイ・マルムスティーン等)から一足跳びにベイエリアスラッシュ(スレイヤーやエクソダス等)、そしてデスメタルに手が伸び、「メタル話が通じるごくごく一部の友人」と「流行りの音楽を消費するだけのその他一般人」という彼我の差が明瞭になったことで、逆にほとんどのシーンで自分が外野であること、圧倒的マイノリティであることを意識させられた。

思春期、感動する音楽に何度も背中の皮膚全ての汗腺が開くような戦慄と迸る涙を体験し、同じ感覚を分かち合えない人との距離は僕の中で取り返しがつかないほどになり、自虐的な語りで笑いを取る以外、人前で音楽の話をすることはもうなくなった。

いつも心の底に孤独があるのに、やっぱり周囲に合わせることは絶対にできなかった。