豊臣秀吉は分けて食べるのが好き

豊臣秀吉は美食家というイメージがあるが、晩年まで質素な食事をしていた。

麦飯や米を小さく砕いてから水で炊く割粥や、大根やゴボウを好んでいたという。とくに幼い頃にお使いで叔母の家に行ったとき、お椀いっぱいによそってもらった麦飯が、生涯で一番うまかったと回想している。

こんな話も伝わっている。あるとき秀吉は母の菩提を弔うため高野山へ参詣に行ったが、急にそこで「割粥を食べたい」と言いだしたのだ。母が食べさせてくれたのを思い出したのかもしれない。

割粥というのは、米を石臼で三分の一ぐらいに砕いてつくったおかゆのこと。ところが、高野山には臼がなかった。とはいえ天下人の頼みなので断るわけにはいかず、僧侶たちは大勢で米を一粒ずつ包丁で刻んで粥をつくった。

秀吉は、懐かしい割粥を堪能しながら、「どうやってこの料理をつくったのか」と僧にたずねた。そこで方法を伝えると、「臼がないなら粥は食べなくてもよかった。包丁で米を刻むなど贅沢である」と𠮟りつけたという。

食べ物について、秀吉は正妻のねね(北政所)にこんな手紙を書いている。

「蜜柑を十個贈りますね。ねねは五つ、養女の豪は三つ、養子の金吾は一つ半、養女の小姫は半分、きちんと分けて賞翫してくださいね」

食べる個数まで指定しているユニークな書状だが、やはり秀吉は、みんなで同じものを分けて食べるのが好きだったようだ。