症状と向き合いながら続けた高校生活

主治医からは当初「高校に通うなんて無理だ。私としては命を守ることが優先なんだ」と言われていた。しかしナナミさんは「どうしても制服を着たい、普通の人と同じように過ごしたい」という思いで無理を言って許可を得た。

高校は通信制の高校を選択した。ナナミさんが高校生活について振り返る。

「本当は全日制の高校に行きたかったのですが、満員電車などが無理でそれは叶いませんでした。通っていた高校は通信制ではあるのですが、通学コースもあり週5日通っていました。もし通えない状態になってしまったらその分のプリント課題を出せば単位はもらえるというシステムでした」

写真はイメージです(写真/PhotoAC)
写真はイメージです(写真/PhotoAC)

 高校時代にできた友だちと何度か遊びに行くこともあったという。病気が悪化してしまい、遊びに行けたのは数える程度だったが、友だちと遊べたのは楽しかったようだ。

さらに高校2年生の時に体調が悪化し、1か月も休むことになってしまった。その後、高校3年生は学校に全く通えなくなる事態に直面する。

2年生のある日、ナナミさんが久しぶりに学校に行くということで母親とともに担任と面談した時のことだ。母親が当時の状況を説明する。

「高校2年生の時の担任は男性の教員でしたが、久しぶりに登校したナナミに対し、机に身を乗り出し、声を荒らげてきたんです。『ご無沙汰してます』『学校に来れないのに家でご飯は食べるんだ』『言っていいか分からないけど、元気そうだよね』などとデリカシーのない質問を娘にぶつけはじめました。ナナミはわけもわからず硬まってしまって……。

学校にこの発言を伝えると、対応としてこの教員をナナミに接触させないと約束しましたが、約束がきちんと守られることはなく、それも原因のひとつとなって、結果的にナナミは病状が悪化し高校3年生の時は通えなくなってしまいました。後にその教員はこの発言の責任を問われ違う部署へと配置換えになりました」

写真はイメージです(写真/PhotoAC)
写真はイメージです(写真/PhotoAC)

そもそも高校側には病気についても伝えており、その上で通っていた。担任の配慮が足りなかったとしか言いようがないが、その後も病気という大きいハンデがナナミさんを襲い続けた。

「私は総合受験で私立の大学を受験しました。論文を提出し面接を受けるのですが、面接で聞かれたのは、ほとんどが病気の話でした。理由についてはわかりませんが結果は不合格。ただ、その大学は定員割れしているので、病気が理由で落ちたのかもと思っています」