代表権騒動の影響から生まれた齊藤事務所への依存体質
独自の事務局を構える資金も、職員を雇う余裕もない。そんな極限状態の中で、党の中枢を実質的に一人で引き受けていたのが齊藤健一郎氏だった。
代表権騒動が起きてからは、齊藤氏が国から受ける「公設秘書」という人的リソースや「月100万円の調査研究広報滞在費(旧文通費)」こそが、NHK党の実務を回すための命綱だった。党の運営実態は、齊藤事務所に全面的に依存する状態が続いた。
この依存の実態こそが、齊藤氏の離党という事態において致命的な牙をむいた。齊藤氏が、崩れ去った人間関係の果てに選ばざるを得なかった「苦渋の決断」として離党を表明した瞬間、代わりの資金も実務部隊も持たない党は、一瞬にして活動不能な状況へと転落してしまったのである。
立花孝志という政治家の最大の特徴は、常人離れした圧倒的な行動力にある。
その手法は、とにかく手数を打ち、失敗の中から正解を見つけ出す「超・試行錯誤型」で、これはNHK党が国政政党になる以前から一貫している。その過程では、当然ながら明らかな失策や強引すぎる判断も多分に交ざるが、組織はそれを止める術を持たなかった。立花氏の直感と行動力を全面に活かす独裁構造は、立花氏の強みを最大化する一方で、暴走を食い止める「ブレーキ」を排除する側面も同時に持つ。
「ブレーキなき加速」が招いた必然の衝突
立花氏にブレーキをかけない。その危うさこそが、既得権益をなぎ倒すほどの「爆発力」を生んでいた。だが、かつて浜田聡事務所の公設秘書としてその熱狂の渦中にいた筆者は、今改めてその大きなリスクを痛感している。
結局のところ、この組織は立花氏という強烈な「中心点」に、それぞれが個別の「点」として繋がっていたに過ぎなかった。横の連携を持たず、中心一点の重力にのみ依存した構造は、極めて脆かった。目的を達成するための加速が、いつしか様々なリスクを置き去りにしてしまった。
事態をさらに深刻化させたのは、前述した「党費も寄付も募らない」といういびつな資金調達の方針だ。代表権騒動による政党交付金の停止という逆風下で、借入金に頼り、実務や人的リソースのすべてを齊藤事務所に全面的に依存する形である。この方針も立花氏のこだわりの一つだ。
立花氏は「たとえ自分が不在でも、組織は設計図通りに自律して回転し続けるはずだ」と主張していた。












