推し文脈の気持ち悪さの根底にある「ミーハー」

こうして解像度を高めていくと、ふと気づくことがある。それは、僕が圧や孤立感を感じる社会の推し至上文化とは切り分けて考えるべきポイントが一つあるということだ。

それは、僕世代で言う「ミーハー」、つまり世間で流行っているもの、世間が良いというものを盲目的に良いとし、みんなが見るから見る、みんなが持ってるから欲しがる、有名だから良いと評価するといった価値観が、「ファン心理」以上に全く理解できず、やはり嫌悪感すら伴うということだ(なんだか太平洋戦争下の日本で小さい日の丸を振っている群衆や、アドルフ・ヒトラーの演説に集まる聴衆が脳裏に見える)。

もちろん、推し活をする者の中には、まさに同じように世間一般の「良い」に迎合できず、ようやく「良い!」と言えるオンリーワンを見つけたからこそ熱狂的に推すという側面もあるから、この「ミーハー」とはイコールでない。 

けれど現状社会に蔓延する推し文脈の気持ち悪さや受け入れがたさには、間違いなくこの「ミーハー」の像がある。

ということで、次回では今回同様、「流行りに飛びつく勢」の心理と自身の比較から、またもし僕「ら」の拒否感が「それが流行しているから飛びつきたくない」という逆張り心理を背景にするなら、さらにその心理にどんな背景があるのかも含めて、掘り下げを進めてみたい。

文/鈴木大介
※「よみタイ」2026年2月28日配信記事

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