特攻隊を知り芸人としての引退を
──現在は自治体や教育委員会、地域のイベントなどで「特攻隊」「原爆」「北方領土」といった題材のネタをされています。もともとは正統派のスタイルでしたが、その芸風を変えるきっかけは何だったのでしょうか。
竹森 僕、実はお笑いが好きで芸人になったタイプではないんです。だから、賞レースにもそこまで熱くなれなくて。14年前、芸人としての意義を見出せなくなり、もう辞めようと思っていました。
そんなとき、知人に鹿児島県・知覧の特攻平和会館へ行こうと誘われて、半ば流されるような形で訪ねたんです。そこで特攻隊員の遺書や手紙、写真を目にして、「これが、映画やドラマではなく、現実に起きた出来事なんだ…」と衝撃を受けました。それに、先人たちがいたからこそ今の自分たちがあるのに、感謝すべき存在を自分も含め多くの人が知らないのはなぜなんだろう、と強く考えさせられて。
特攻隊員の方々に比べたら、自分の悩みなんて本当にちっぽけだと感じて、芸人を辞めるのをやめました。それから「この出来事をみんなが知るべきだ」と強く思うようになり、どうすれば伝えられるのかを約7年かけて模索したんです。
その中で、笑いを織り交ぜた“二人芝居”というかたちにたどりつきました。目を背けたくなるような重く暗い時代の話だからこそ、僕たちが培ってきた「笑い」という手法が有効だと思いました。
──その後、特攻隊員の二人芝居を2019年に上演。阿部さんは、もともと賞レースにも意欲的で「お笑いで売れたい」という志向も強い印象です。社会的なテーマを扱うことに抵抗はありませんでしたか。
阿部 正直最近まで腑に落ちてなかったんですよ。
以前、竹森がライブ企画で作った「ぬか漬けのうた」が2005年にNHK「みんなのうた」に採用されて、それをきっかけに“ぬかづけマン”のショーで全国の幼稚園を10年以上回ってきたんです。けど、「芸人なのにこれでいいのかな」という葛藤はずっとありました。それでも、「竹森がやるというなら…」という感じで続けてきて。
でも、歳を重ねて子どもが生まれ環境が変わる中で「教育の大切さ」を実感するようになり、歴史を伝える活動って、すごく大事なんだなと思うようになりました。実際に多くの人の反応を目の当たりにして、この活動は意義があると自信をもてるようになりましたね。
──「歴史を伝える活動」を続ける中、26年ほど在籍した吉本興業を退社し、フリーとしての活動を選ばれました。長年所属した事務所を離れた理由は?
竹森 相方ですら最初は腑に落ちていないくらいだったので、会社から活動への理解を得るのは本当に難しかったんです。賞レースで結果も出かかっている中で、商業的にも厳しいと思われ、「歴史を伝えて何になるの?」といった反応も多かった。事務所に所属している以上、周囲の理解が得られないと活動自体が進まないんですよね。
でも、吉本のおかげでたくさんの仕事をいただき、大きな恩恵を受けてきました。だから感謝の気持ちは強く、文句を言うのは筋違いだと思って、「だったら自分たちで責任を持って、好きに動こう」と決めて会社を離れたんです。
ただ、退所の意向をなかなか受け入れてもらえず、「辞めないほうがいい」と引き止められて、実際に辞めるまで4年近くかかりました。












